『100%の幸せ。そして、もぎデリ米』

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By田中和彦

誰しもがいろんな悩みを抱えています。他人には分からないし、悩みは見えない靴の中の小石のようなもの。

家族、会社、仕事、恋、健康、お金、或いは漠然とした将来不安・・・など。

靴の小石なら脱いで捨てれば済むのに、人生では中々それができないもどかしさ。

100%の幸せはありません。

ただ、人は愚かだから一瞬勘違いします。それは悪くない幸せな誤解ですね。

僕も喉の風邪ばかりに気持ちが行っていたら右膝の痛みをすっかり忘れていて、出張中に階段スタスタ上り下りしてました(笑)・・・意味が違うか?!誤解とか幸せの。

※ ※ ※ ※

テレビスタッフが一年頑張って作った「もぎデリ米」3キロを社内販売しています。

何キロ出来たの?

「350キロ収穫出来ました。うち、50キロはお世話になった皆さんにお渡ししました」と、プロデューサー。

じゃあ、完売して売り上げ10万ちょっと?か。

農業が大変なわけだ・・・。

「はい。それより農家の皆さんの大変さがよくわかりました」

その人の世界に入ってみないと分からない事ばかりなんですよね。

『紫舟の言葉・・・僕ハきっと出来ル。』

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By田中和彦

絶不調の時だからこそ、神様は出てくるものです。

書家・紫舟から貰ったお礼のハガキ。

“僕ハきっと出来ル。”

思わず・・・泣けてきました。

先日。大阪のデパートで展示会があって、「書道パフォーマン甲子園」とかで世話になっているからと、お花を贈っていた・・そのお礼状。

大阪支社の仲間にも「いまや彼女の書は芸術だから是非、見ておきなさい」と連絡していたのです。

「田中さん。僕らにはどれも手の出ない値段でした・・・」と(下世話にそこか?!笑)

ありがとう、紫舟。

揺らいでいた自信が少し戻ってきました。

『タイムテーブルから音が聞こえる』

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By田中和彦

亀渕昭信さんとちゃんとお話しできたのは、カメさんがニッポン放送の社長を退任された後だから、10年くらい前。

僕がラジオ局長時代。

「田中君さ。その放送局の良し悪しはタイムテーブルで決まるんだよ。南海はさ、いいよ」と。

オールナイトニッポンはわずか2年か4年くらいの担当だったけど、カメさんは編成畑が長いんです。

だから昨日の「オールナイトニッポン50周年パーティ」で舞台に上がったあなたが片手にタイムテーブルを持っていて、

「僕はね。タイムテーブルから音が聞こえるんです」と。

それは僕に対する遺言のようで、改めて胸に沁みました。
(あっ、別にカメさんは病気ではありません・・・笑)

定宿ホテルのコックさんが作るオムレツ。

レストランの良し悪しは卵料理で分かる・・・って言葉と一緒に、そんな事を思い返す朝です。

『青春カクテル』

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By田中和彦

映画「ソローキンの見た桜」に合わせてサントリーバー「露口」がオリジナルカクテルを作ってくれた事を先日書きましたが、

昨夜、試飲に行って参りました。

・・・大人の味。そして夢と歴史ロマンが溶けた“青春カクテル”です。

南海放送では今日からロシア向けの45分のテレビ番組を3本制作開始します。
映画にも出演いただいたロシアの名優ドモガロフさん(「ソローキンの見た桜」で収容所のリーダーだった大佐役。ロシアの渡辺謙と言われている人)が昨日、リポーター役として松山入りしました。

彼にも是非、このカクテルを飲んで貰わないと・・・。

さ。南海放送はいよいよ「ソローキン」に向かって全力疾走いたします。

『新しい朝に』

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By田中和彦

開局記念日の朝。65歳になった南海放送です。

今年は昭和28年9月30日のエピソードをお話しました。

ラジオ南海は開局前日のこの日。当時大街道にあった「有楽座」でディック・ミネなど有名歌手を集めてのショーを企画していました。

そして午後6から始まるこのイベントをラジオで記念生放送する予定でした。

しかし、放送免許申請に時間がかかり、なんと免許が交付されたのはこの日の午後5時58分。生放送2分前!!

(現在の)総務省の担当官の両手を握りしめ、「ありがとうございます」と技術社員は泣き崩れたそうです。

・・・あれから65年。

そんな泣ける仕事を又やってやろうじゃないか?!と皆さんに申し上げました。

台風一過の清々しい青空。

そして、今日表彰させていただいた杉作J太郎くんとのツーショット。