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『シーフードカレーの背徳感』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

株式会社カネシロさんの社屋が県産材を使って新築されたと聴いて、
営業ちゃんとお祝いと見学に行ってきました。

新築って、気持ちいい!です。

案内してくれた小池社長とはタイ・ミャンマーの視察団でご一緒し、
バスの最後尾席でつばえていた仲間です。

※つばえる …伊予の方言。“はしゃぎ、騒ぐ”という意味です。
ちなみに鳥獣戯画を描いた鳥羽僧が語源らしいので、由緒と歴史ある方言ですから、恥じずにもっと使いましょう(笑)

木材の落ち着きと香りが素敵で、仕事の能率をあげてくれそうな品のある社屋になってました。
小池社長、時間をとっていただいてありがとうございました。

カネシロ新社屋

ランチは堪らなく「カフェブルー」のシーフードカレーが食べたくなったのですが、時間がない!
で。近場のホテルのレストランでシーフードカレーを。(ここは、らっきょうが美味しいんです)

でもなんだか、遠距離恋愛の彼女に逢えないから、近くにいる女の子とデートしてしまったみたいな、軽い…背徳感が(笑)。

カフェブルーさん、ゴメンなさい。

あなたのシーフードカレーを一番愛していますから、どうぞ許してください。

『心はいつも…バレンタイン』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

20数年前に始まった深夜放送ラジオ「ポップスヒコヒコタイム」のリスナー集会が三連休中にありました。

30人近いメンバーの皆んなが、ラジオの前にいた頃は18歳だったのに…今は48歳です(或いはそれ以上…笑)。
遠く徳島や八幡浜からも来てくれました。

『無事に2年間、社長業をよく務めました。これからも頑張りなさいね…』という激励会でした。

ありがとうね。
嬉しいよ。皆んなあれから大人になって。結婚したり、別れたり(笑)、再婚したり、独身だったり。
人生アレコレあるわさ。
でも。それぞれ一人一人が、いろんな責任ある人生を背負っていて…
なのに、また。童心に帰れる時間を一緒に持てるシアワセ。

ヒコヒコタイムリスナー集会

頂いた花束。

赤いパンツ(又かよ?!…笑)。

ウィスキーと特製グラス。
そのグラスには、ヒコヒコリスナーズの文字と僕の一番好きな歌「心はいつもバレンタイン」(ニルス・ロフグレン)の印字。

みんなに恥じないように“役割”を果たします。
そして…。
あの頃のラジオムーブメントをもう一度起こして見せますから、ね。

誇らしき…我がリスナー達よ。
それぞれの人生に幸あれ!!

ポップスヒコヒコタイム!フォーエバー!

※「ポップスヒコヒコタイム」
1982年4月から2002年3月まで20年間放送した深夜ラジオ番組

※「心はいつもバレンタイン(原題:Valentine)」
ニルス・ロフグレンのヒット曲(1991年)

『さよなら制作。そして、僕の総括』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

日本民間放送連盟賞の中四国ラジオ審査会が山陰で開かれているんですが、
『赤シャツの逆襲2』がエンターテインメント部門で最優秀を獲った、と制作部長さんから踊るようなメールが…。

僕は東京・麹町の喫茶店でそれを受け取りました。

最後は大接戦だったらしく、決まったポイントは
「なにより皆んなが楽しそうにしている…」でしたと、部長さん(笑)。

それが一番だ!いえば社風じゃん!ラジオにとってなによりの褒め言葉だ!…
と返信しました。

6月。会社の幹部が全員あつまる役員会で、
この『赤シャツの逆襲2』…を最後に、制作から足を洗います。
出来としては『風の男〜BUZAEMON〜』以上に自信があります。
最後に営業も制作も一体となって、皆んなといい仕事ができました。
長い間好き放題させて貰い、遊ばせていただきありがとうございました。
以後、経営に専念します…と話しました。

僕の“さよならの総括”が「とにかく楽しそう」と評価されたことは最高です。

運命と。それを創ってくれた神に感謝。

いるならば…制作の神に。心から感謝。

赤シャツの逆襲スタッフ1
赤シャツの逆襲収録_(2)

※南海放送の日本民間放送連盟賞中四国ラジオ審査会・エンターテインメント番組部門「最優秀」受賞は
2014年の『風の男 BUZAEMON』(全国最優秀受賞)、2015年の『宇和島伊達家入場 COME TOGETHER』に続き
3年連続となります。

『ザ・監督。そして、あの夏』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

松山商業の窪田監督。宇和島東の上甲監督。
西条の森田監督。新田、帝京時代の一色監督。

…僕の高校野球中継時代は“先生監督”でなく、“職業監督”達との仕事でしたから思い出が半端ではありません。

ピッチャーズプレートから本塁までの距離。各塁間の距離。
そこから割り出す盗塁成功に許された時間。
…そんな事から教わり、話し合いました。

プロに行った華々しい球児も時代、時代にいましたが、
やはり高校野球の魅力は“ザ・監督”でした。

堀之内の松山球場時代は1回戦からラジオはNHKとバックネットに並んで全試合を中継していました。
宇和島、今治、新居浜の旅館暮らしもしました。

この時期になると、発声練習からやり直す先輩。長時間中継の体力をつけるためにランニングをする先輩…。

高校野球中継はアナウンサーの優劣を決める期末試験みたいなものでもありました。
年齢やキャリアは関係なく、その仕事ぶり・巧さで序列ができていました。
自他共に許すアナの序列です。
序列が下になった先輩ほど哀しいものはありませんでした。
だから…若手にとっては下剋上の、逆転のチャンスでもありました。

それだけ放送が命がけでしたから、愛媛野球も強かったです。
生意気なキャッチコピーですが『放送がチームを強くする!』がウチのアナウンス室の共通意識でした。

ウチの江刺アナや藤田アナはその伝統を受け継いだ最後のスポーツアナです。
だから、マラソンをやってもなにをやっても心が入っているんです。

江刺・藤田

今年の朝日新聞の高校野球のテレビCMいいですね。どっかの応援団がスタンドでやりそうです。

『邂逅・・・。そして巡り合いに、ありがとうを』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

かつての深夜ラジオ番組「ポップスヒコヒコタイム」の有名リスナー2人が逢いに来てくれました。

ヒコヒコタイムリスナー

「和彦は元気か!?」という書き出しで、いつもカードを出していた今治出身の極楽みかんちゃん。
お父さんの看病で帰省したとか・・
番組10周年の記念パーティではフラメンコを踊ってくれた彼女。
あの頃は19歳の大学生だったけど、今は結婚して東京に。ふたりの男の子のママです。

そして吉田町出身の理容業・アーストン小僧くん。
番組リスナーたちの幹事役をしてくれています。

それぞれの青春時代があり、或いはそれ以降の人生があります。

でも。ラジオでつながった何かが心のひだに残っています。その不思議さ、心地良さに乾杯!

わざわざ寄ってくれてありがとう。

和彦は元気に!…なったよ。

ヒコヒコタイム当時の田中社長

※「ポップスヒコヒコタイム」
1982年4月から2002年3月まで20年間放送した深夜ラジオ番組

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