『カメさんの事』

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By田中和彦

10月3日(日)の「ラジオマンの憂鬱」のゲストにお迎えする亀渕昭信さん。

高一の時だったか彼の「オールナイトニッポン」にハマり、僕の人生は変わりました。
進学は京都の大学に。そこで舞妓さんと恋に落ち、失恋してから女子高の歴史の先生になる・・・という男子校の学生らしい夢(妄想)を描いていたのが全然変わってしまいました。
彼と同じルートを取るために志望校を東京に変え、荒木一郎、フォーク、歌謡曲のオタクみたいな趣味は洋楽一辺倒に変わりました。
全部、亀渕昭信さんを追いかけて、彼の真似をして生きてきました。
青島幸男さんの葬儀の日に初めてカメさんと東京でお会いしました。
「青島さんて素敵だったよね。都知事になっても参議院議員になっても直木賞作家になっても、偉くなるたびに軽く軽く振る舞うんだよね。あーなりたいよね」と仰いました。
肩書きが重くなる毎に軽く振る舞う・・・男。
亀渕昭信さんもそうでした。だからこれからも、今まで以上に真似して生きていきます。こんな田舎町で誰が何を言おうが関係ない。
前日の晩に皆んなで会食する予定にしていたら
「僕も79だからさ、田中くんとゆっくり喋るのはたぶん最後になると思うんだ、だから大人数より二人にしよう」・・・と。
日曜日の生放送よりも土曜日の夜に二人で語り合う時の方が緊張するかもな・・・と、夕方ウォーキングしながら夕日を見て、そう思いました。

※「ラジオマンの憂鬱・1周年記念スペシャル」10月3日(日)10時〜12時
亀渕昭信、松沢はつみ フルタイムゲスト

『1985』

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By田中和彦

夜。ドアホンが鳴った。お隣りのお婆さんだった。
「明日。サ高住に引越ししますんでご挨拶に・・・」
いいとこ見つかりましたか。
「はい。海の見える新しいところが一部屋ありまして。
私も90になりますから、しんどくて・・・
沢山優しくして貰い、主人の葬儀の時はお花までいただきありがとうございました。
ここに来た時は慎ちゃん(息子のこと)が幼稚園でしたよね」
(そっか、1985年だものな)そうでしたね。元気でいてくださいね。
「ありがとうございます。田中さんこそ」
ちょうど薮野健画伯からメール添付の絵が送られてきたばかりでした。


エジプト・ルクソール。
メモをみたら1985年12月に描く・・・と。
ルクソールは1992年ごろ僕も行って
王家の谷のツタンカーメンの墓などに入ったことがありました。
アガサ・クリスティが古代学者の旦那についてこの地にきて
「ナイルに死す」とか何冊かの推理小説を書いた街、ルクソール。
誰しもに歴史ありだな・・・とお隣さんの後ろ姿を見送りました。
さようならより、ありがとうがいいな。