版画家・畦地梅太郎さんのお嬢さんとお孫さんとご一緒にランチをしました。
お二人は東京都町田市で畦地作品を集めた美術館「あとりえ・う」を経営してらっしゃいます。
半年前くらいに最初にご一緒して、実に清々しいお二人で、是非またとこちらからお誘いしていたのです。
40年くらい前。当社の先輩達はよく取材のあと、そのまま一緒にお酒を飲みに畦地家に泊まり込んでいたらしいです(笑)
畦地梅太郎さん(1999年に96歳で亡くなりました)が、60歳の時には還暦記念にと石鎚山の冬山登山に誘い、全員遭難しそうになった話などを沢山伺いました。
お嬢さんやお孫さんの人柄から察するに畦地梅太郎さんも、なんか一緒にずっといたくなるタイプの人だったんだろうな、と無茶な誘いをした当社の先輩OBのことがわからなくもないな・・・と。
羽田空港からの東京の夕日を見ながら、昭和50年代の畦地梅太郎さんと放送局の若きスタッフ達に思いを馳せました。
なりたいものですね・・・清々しき人に。
昨夜、テレビ朝日系の番組に益田祐美子さんが登場しました。
(僕は懇親会だったので録画しました)
「ソローキンの見た桜」の映画プロデューサーです。もともと普通の主婦で何年か前に思いついて1億円集めて映画を作った人。
今度も当社の社内プロデューサーが「ソローキン」をテレビドラマにしたいんですが、役者を紹介して欲しいと話に行ったら・・・
「スケールの小さいこと言ってんじゃないわよ。こんないい素材のストーリーは日露合作にして国際映画にしましょう」と。
日露合作?!
で。商社・広告会社を説得して枠組みを作り、ロシアに強い監督や映画の配給会社を決め、あれよあれよで・・・。
さらにロシア大使館にわたりをつけて制作発表までそこでする。
(僕の隣が益田さん。ロシア大使館で)
プロデューサーとはかくあるものだと僕たちが仰ぎ見ている人。本当に凄い女(ひと)です。
会うたびに、自分で限界を決めてから動こうとする“伊予人気質”を吹き飛ばしてくれる存在。
キー局の目にとまりました(笑)
しつこい喉風邪、10日間。
薬を飲むためにきちんと食べ過ぎたせいか?!2キロ体重が増えてました(笑)
病を得て、太ってどうするねん。
ま、動いてないしね。お陰で右膝が痛まない・・・。鎮痛剤がこっちにきいたのかも。
昨日の反戦軍人・水野広徳の慰霊祭では、墓前法要のあと「坊っちゃん劇場」の近藤誠二さんと村上幸央さんが、
軍人時代の水野と反戦に目覚めた水野を演じてくれました。(流石のお二人。迫力ありました)
軍国時代の中で、反戦軍人として生きた真のジャーナリスト水野。
現代の日本は政府に文句言おうが、反対しようが、命の危険や身分を喪うことはありません。
が、“昭和。戦前の日本”は違いました。
取材をきちんとせず、哲学もなく世論におもねる自称・ジャーナリストが最近増えているのが嘆かわしいです。
僕が入社間もない昭和53年から南海放送は本格的に水野広徳の顕彰を始めました。当時の社長(第4代)が新聞記者出身だったこともあるかもしれません。
ですから、今日は元社長(第6代)、前社長(第8代)、そして不肖第9代の僕と全員揃ってのイベントになりました。
仕事は終わった。
さ。点滴に行こう・・・。
映画「ソローキンの見た桜」・・・のファーストラッシュ(荒い編集版。繋いだだけみたいなモノ)が届きました。
画像をお見せできないのが残念ですが、僕は泣けました。
一番泣けたのは「ロシア兵墓地」の秘密を追うディレクター役の斎藤工に、ヒロインの阿部純子が「なんで先輩はこんなに一生懸命なんですか?」に、答えた言葉。
「小説に書いてさ、映画にしてやろうと思うんだ」
かっ、かっ、かっ、カッコいい!
さ、さ、斎藤工が言うのと原作者の僕がつぶやくのと、なんでこんなにも違うんだぁ・・・
たっぱ(上背)があり、ハンサムで、ヒゲさえ魅力的で、完璧な長髪の斎藤工が、いたずらっぽい笑みを殺しながら低い声で、しかも横顔で言うこの台詞!・・・
「小説に書いてさ、映画にしてやろうと思うんだ」
くーっ?!カッキー!
(田中さん、そこ?!・・・爆 。はいはい)
映画の本来のストーリーとは関係ないとこだし、謎解きには触れていないから、これならプロデューサーから叱られないだろう・・・と。
以上、ラッシュを観た感想でした。
すでにラジオドラマを聴いた事がある方は、ラジオで語った「ソローキンの見た桜」と、映画が語る「ソローキンの見た桜」は、“桜の意味”が少し違います。
そこは監督さんの腕、それもいいです。
来年3月の映画公開をお楽しみに・・・。
※写真が寂しいから「露口」のオリジナルカクテル「ソローキンの見た桜」を再掲します。