この10月。愛媛大学の秋の短期集中講座を担当していました。
「人間科学入門~メディア論」なのですが、今日はラストディ。1950年代から始まった「レコード」の回転数戦争についてお話ししました。
あの、LPレコードのコロンビアとEPレコードのRCAビクターのお話です。簡単に言うとクラシック音楽全盛期にはコロンビアが、ロックンロールの時代がきたらビクターのドーナツ盤EPが巻き返した・・・で、この戦争の果てに最後に残ったのは「音楽」という「文化」だったと・・・そんな話です。
ところが現在の大学生はレコードという時代を経験していないので、「現物のレコード盤」を教室に持ち込みました。
なにせ、レコードはピンクレディ全盛で、サザン・オールスターズのデビューした1979年頃が、生産高1億630万枚でピーク。今の大学生達が生まれる前の1992年にはCDにおされて、1.7万枚にまで落ちていますからね。
で、彼らの感想文を。
「デビット・サーノフ(ドーナツ盤でロックンロールを売り始めた当時のビクターの社長)はすごい仕掛け人だという事がよくわかりました。レコードにこんなに種類があるなんて知りませんでした」(理学部・一回生 N君)
「レコードを初めて生で見ました。SP、 LP 、EP、なんてびっくりです。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley:ロックンロールに火をつけた人として紹介)は、名前は知っていました。(医学部・一回生Kさん)
「サザンやピンクレディなど、私も知っているグループもレコードを販売していたのですね。クラシックだけかと思っていました」(医学部・一回生 Tさん)
「今日、実物を初めて見ました。レコードってCDより大きく、重いものだったのですね。年末のレコード大賞という言葉にいつも違和感を持っていました。なるほど、こういう音楽の歴史だったのですね」(法文学部・一回生 Mさん)・・・・・・と。
昨日の「サイクリングしまなみ」の筋肉痛を足に抱えながら(笑)、秋の総括を以上にまとめておきます。
中村知事としまのわポーズ。笑顔の見届け人は伊予鉄の清水副社長
まもなく10月25日(土)から愛媛県美術館で始まる”戦場カメラマン”ロバート・キャパの写真展。
東京富士美術館所蔵写真展 ロバート・キャパと過ごす時間/光の風景へ
会期中の11月7日(金) 14時からは、あの現代の戦場カメラマンで、イラク帰りの渡部陽一さんをゲストに迎えて、ラジオシンポの収録が美術館ロビーで行われます。
言いだしっぺはロバート・キャパ フリークの僕なので(笑)出演もします。(←出過ぎですね!最近・・・笑)
ロバート・キャパを好きな理由は二つ。
一つは、ともに戦場を駆け抜けた恋人のゼルダ・タロー(パリで岡本太郎と親交があって彼の名前をペンネームに使った)が、素敵すぎること。
もう一つは、キャパが僕と同じく”ヘミングウェイ”オタクで、彼に猫のように付きまとって肖像写真をとっていたというエピソードがあることです。
※ 今回、アーネスト・ヘミングウェイのポートレート写真も展示されるみたいです。
報道系カメラマンなのに、まるで林家ぺーみたいな無邪気さ(笑)ですよね。
愛されるということはそういう部分が必要です。
※本日の写真は、ロバート・キャパと全く関係なく、松野町に住む書家で友人の矢間大蔵くんの書を「無邪気」に借用いたしました。タイガースファンにとっては、今朝の”旬”です(笑)。
参考に
※ 愛媛県美術館 ロバート・キャパ展HP
http://www.ehime-art.jp/tenrankai/now/index5.html
※ ラジオシンポジウム・放送予定
中四国ライブネット(8局ネット)11月8日(土)18時~20時
ものづくりに命懸けになっている人たちの多くは、コンテストの結果なんかもそうですが、
「あの人に褒められたい。認められたい。」という、敬愛する先達だとか、評論家を心の中に持っているものです。
僕にとってFさんは、そんな中のお一人。
大昔の新聞社の専務さんで、大学の大先輩でもあります。75歳くらいかな。
「風の男 BUZAEMON」の映像付きラジオドラマDVDをお贈りしたところ、DVDで視られた後に、改めてラジオでの再放送も聴かれたとのこと。
早速に長い素敵な文章のお手紙をいただきました。
“映像を排除したラジオドラマが「動」とするならば、映像バージョンは「静」。二通りの感興をいただきました・・・”と。
“乾坤一擲・・埃を被ったような古臭い四字熟語がここでは生気に満ちて響いています。戦いのエネルギー、勝利への確かな展望と確信。そんな魔法の言葉として作用しているのです。「祝祭のドラマ」に仕立て上がっているようにも思えます。”
・・・なんという評論文でしょう。評価そのものよりも、この文章表現の的確さとラジオの本質をわかっていらっしゃる教養に、
「僕には書けない文章だ」とため息を漏らしました。
Fさんに、また新作を聞いてもらいたく。一瞬、そんな気分になってしまいました(笑)。(いかん、いかん。神に約束したのだから・・・)
窓を開けると、ガラスに映った松山城がビルの風景に溶け込んで、まるで真昼の蜃気楼のようです。
ミラージュ。或いは、アンセルモ。
僕にとってFさんは、そんな存在でもあります。
素敵なお手紙、ありがとうございました。
宝厳寺 第53世住職 長岡隆祥さんの葬儀が今日行われました。
和尚との思い出はなんといっても2008年11月3日のことです。
この年は南海放送55周年で、僕は「一遍イヤー」にしたいという企画書を書き上げました。
具体的にはラジオ・ドラマ「SAINT IPPEN~永遠の嘘をついてくれ~」とラジオシンポジウムを春に、
秋にテルスターホールを使っての舞台「いっぺんの欠片」を上演するというものでした。
“いっぺんの欠片”
一遍上人生誕の地と言われている道後の宝厳寺に出かけ、11月に舞台の成功祈願祭をできないか?
舞台で披露する「おどり念仏」のダンスのパフォーマンスを境内で一般公開したいのだが・・・」とお願いしました。
にこやかな笑顔で二つ返事の了承をうけた数週間後、和尚から、
「田中さん。大変なことになったよ。こないだの話を鎌倉の遊行寺(時宗の総本山)に伝えたら、
法主がこちらに向かうと言うんだ」
で、11月3日。
当時90才でいらした時宗の法主(トップ)真円上人が6人ものお坊さんを従えて祈願祭にとやってこられました。
はるか雲の上の存在であるはずの方がいらっしゃるイベントになったのです。
一ローカル放送局の芝居の成功祈願に、です。
それだけ宝厳寺は、一遍上人生誕の地として大切にされているお寺なのだということです。
宝巌寺で踊り念仏
去年の夏。
火災で本堂を失った時の長岡和尚の悄然とした横顔を今も忘れることができません。
すでにその時は病魔と戦っておられました。
思い出はつきません。
僕にとって一遍上人と長岡和尚は同じ人に思えます。
ありがとうございました。
(我々の世代はビルマの方がピンとくるけど) 高校時代の同級生が、今はミャンマーの大使をしている。
同級生といっても、彼と僕の住む世界は随分違っていた。
こちとら、勉強もせずに深夜放送とポップスにうつつをぬかしていた不良学生。
彼はずーっとトップクラスの真面目な学生だ。
が、警視総監をしていた時代までとは打って変わって、今は多弁な外交官に。
国をPRする格好いい“セールスマン”閣下になっている。
「大使」の外務省での正式な呼ばれ方は「大使閣下Excellency」だ。
「俺がいるうちにさあ。番組作りにミャンマーに来いよ。公邸でディナーご馳走するからさ」
いいねえ。
『謎解きはディナーの後で』の感じかな(笑) 嵐の櫻井くんみたいな執事が控えているみたいな・・。
冗談は別にして・・・今度逢えるのはいつのことだろう。