山下アナウンサーに今朝、定年退職辞令をお渡ししました。
彼の最後の言葉は
「思い出深いのは道後時代の最後の生放送ラジオドラマ『7人のゴースト』でした。
緊張感とパッション、ラジオのすべてを体験出来たことです」と。
僕の渾身の企画。
最後の挨拶で「さようなら、道後樋又」と言い出せなくて不覚にもオンエアーで泣いてしまったことを思い出しました。
どっかに写真でも残っていないかなと検索したんですがありませんでした。
ネットにあった「はしれんたろう」さんの雑記帳をシェアさせてもらいます。
どこのどなたか知らないのですが、こんな感想文をだしていてくれたのですね。それも今日、初めて知りました。
http://orange.ap.teacup.com/iyokakun1961/60.html
山下ANは、退職はしましたが来週からも朝ワイドラジオを担当してもらいます。
※南海放送ラジオ『山下泰則のモーニングディライト』月曜~金曜 朝6:55~9:00 生放送
かつて。うちのニュースキャスターをしていたこともある旧姓・金原小織アナウンサー。
(1998年入社だったっけなぁ)
シンガポールから一時帰国して今日、南海放送に来てくれました。大学の後輩でもあります。
二か月間の夏休みを利用して息子と帰国。松山の地元の小学校に、この間を利用して通わせているそうです。
「息子をバイリンガルにしたいんですが、英語は上手くても日本語がダメなんです」・・と。
お前の唯一の欠点は教育ママになりそうなとこだった・・案の定だ(笑)
「そんなぁ・・」
何時までも、後輩が素敵なままでいてくれることは嬉しい事です。
お土産にもらった「上標油」(ミント)の香りを嗅いで、僕はこれから講演に行って参ります。
何かが吹き抜けるようなランチタイム。
そう。シンガポールの風をありがとう・・。
出勤時。
今朝のお天気にピッタリの『スタック・ウィズ・ユー』(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)なんかが流れていたから、
ラジオスタジオを覗く。
「何か!?」 緊張が走っている(笑)。
いやいや。センスある選曲しているからディレクターの名前と顔を確認に来たの・・と、スタジオのドアを閉めました。
業務妨害に近い(笑)ラジオおたくですね。
降水確率50% の予報だけど、ご覧の晴天。
命の限りを言われて病気と闘っている友達に、
「ほら、わかんないもんだろ? 予想なんて」と言ってあげたくなるような松山城です。
僕が魔法を使えるなら「ほら、ね」と奇跡を見せてあげたい。
司馬遼太郎さんがなんかのエッセイに書かれていた、この街を「散るように歩きたい」とふと、思いました。
※『Stuck With You』 Huey Lewis & The News (1986年)
週末に、高校野球解説者さんとOBも含めたスポーツアナウンサーの集まりが企画されています。
例えば往年の宇都宮基師アナ、解説の見乗敏茂さんとか・・。先輩達に会えるのが楽しみです。
昔の野球実況取材ノートがどっかにあったはずだと探していたら、こんな写真が出てきました。
たぶん・・最後のニュースキャスターだった頃。
ソニーお気に入りのワープロ「プロデュース」の上にニュース原稿をおいて、赤ペンで書き込みをしている・・。
平社員が座る席だし、タバコを吸っているのと、CDを積み上げているから多分1990年頃ですね。
いずれにしろ高校野球中継がうちから平成新局に移っていくターニングポイントの頃です。
ニュースはもう勘弁だけど(笑)、それ以外は元に戻りたいと一瞬思ってしまいました。
それはそうと、誰が何のために撮った写真なんだろう。
女性を見てキャーキャーいう年ではないんだけど。
伊予鉄の路面電車で女性運転士を見つけて、キャーキャー言ってしまいました。
チョコボールから銀の口ばしがでてきた感じ…(笑)
その後の会合で伊予鉄道のS社長にお会いしたので、
思わず「外から見て、女性運転士だとすぐ分かる車両を作ってください…」などと。
「そんなに気にして貰えてありがとうございます」…。
すいません。アホな事を申し上げて。
写真は失敗です。
陳情はいつか実るかしらん(笑)
※伊予鉄道では今年、戦後初となる市内電車の女性運転士が2人誕生しました。