大三島
今治市
新居浜市
四国中央市
松山市
久万高原町
大洲市
八幡浜市
宇和町
宇和島市
御荘町

南海放送

南海放送

本日は

8/18

晴れ

32/21 0%


テレビ
TV
ラジオ
RADIO
イベント
EVENT
オンデマンド
ON DEMAND
アナウンサー
ANNOUNCER
ニュース
NEWS

『ラジオよ!そして、レット・イット・ビー』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

写真はうちのエレベーターの中です。勿論のこと、すべてにラジオのオンエアーが流れています。

旧社屋にいたころ。エレベーターにラジオ音声を流したいと上に言ったら「前例がない」と許可が下りませんでした。

おかしいじゃないか!? 自分とこの製品なのに!? これで飯を食っているのに・・ともめて、当時のトップに直訴して社長決裁を求めたら一発「許可」。そりゃそうだ。

門番のような中間管理職の存在の煩わしさを知らされました。

この社屋に移った時もラジオがついていなくて文句を言ったら・・。

「こっちでも、つけるんですか?」・・と。(ぬるい!)

「南海さんはFM化とかラジコ対応とか早いですよね。儲からないラジオに投資してもしかたないじゃないですか!?・・」と、よく他局の方に言われます。

子供が二人いて、長男(ラジオ)が能力がなくて、次男(テレビ)がよく働く稼ぎ頭だったとしても、あなたは長男は塾にも行かさず、習い事もさせないのですか? 長男にどんな人になってほしいのですか?・・と反論すると、

そこで話が止まります。

今、ビートルズの「レット・イット・ビー」が流れています。

ラジオよ!僕は君を見捨てはしない。だって君は出来る子なんだ。

あわてなくていいからね。君は自分で立てて歩けるはずだ。君を好きだというひともいっぱいいるからね。
慌てないで、前に向かっていこうね、来年も。

もう一度言うね。

ラジオよ!愛しているよ、心から・・・。

レット・イット・ビー。

『ハードデイズ…モーニング』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

今日は今年一年で一番ハードな1日になります。

午前と午後に長時間会議があって、その隙間に年末恒例のいろんなお客さんがいらっしゃいます。

どちらも大事なこと。深く、深く深呼吸です。

5時半起きでフルーツモーニングにしました。焦げ目をつけたフランスパンと青汁も…。

ビートルズは「ハードデイズナイト」で犬のように働かなければいけない1日だ…と唄っています。

ジョンレノンさん。英語圏では犬は忠実な労働者の比喩に使われるみたいですね。

犬好きの東洋人としては、そこは違和感です(笑)

天下のビートルズに文句をつけたところで、大きく息を吐きました。

雨のせいか、肋間神経痛が痛ぇや。

『ラストウィークの独り言』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

ワム!の「ラストクリスマス」が発売された頃。だから1984年。
僕が30歳のDJ時代に自分の深夜放送でよく言っていた台詞。

“LASTには「最後の」という意味のほかに「最高の」という意味があるんだよ”

・・・

あの時と同じことを考えながら「ラストウィーク」を過ごします。

ラジオのために何ができたか?!
将来の布石をいくつ打てたか!?
才能をいくつ発見できたか!?

・・など。自省しながら大晦日までの一週間を過ごしたいと思います。

エレベーターに貼られた社内ポスターを見ながら、小さな声で独り言を・・

“来年はステーキ納会にできるよう頑張りたい・・” (爆)

※ワム!のジョージ・マイケル氏が昨日のクリスマスに死去されたとのニュースが入ってきました。53歳でした。
  この日誌は、訃報を知る前に書きました。ご冥福をお祈りします。

『あなたに書く・・手紙』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

先日放送した「浦和盛三郎」というのは宇和島と愛南町をわける由良半島の、いや南予の生んだ明治のヒーローでした。

浦和を僕に教えてくれた犬伏先生の追悼番組を放送した後日談。

その浦和のただ一人の末裔である孫娘のKさんから、再放送の御礼のお手紙をいただきました。
教養と品のある美しい文字。
今は老人施設に入居されているそうです。

「私は子供がいなかったから浦和盛三郎の名前を伝えるすべがなく、
 ご先祖様に申し訳なく思っている」という言葉を何度も聞きました。

あなたがいて、犬伏先生がいたからラジオドラマができたのです。

僕がきちんと伝えていきますから、ご安心ください・・とご返事しました。
そんなことは書くべきではなかったのかもしれません。

当時の小学生の通学路の白黒写真が、由良半島のすべてを物語っています。

棄てられない一枚の写真です。

そして、捨てられないあなたからのお手紙。

安心しないで、長生きしてくださいね。

※浦和盛三郎 1843年(天保14年)~1892年(明治25年)
 故郷・内海村網代でイワシ大網2張とマグロ大敷網の拡張に手がけ財を築く。
 大敷網や捕鯨術の改良、日本初の綿糸製巾着網の創作、水産加工の振興など日本の漁業近代化に貢献。
 網代地区民の菩提寺の誘致、小学校の創立、道路の建設に資産を投じる。
 明治16年には御荘為替店を創立、翌17年には宇和島銀行取締となり大阪支店を開設。
 支店開設の手腕を買われ、大阪商船の圧力で窮地に陥っていた宇和島運輸社長に招かれ、大阪・別府航路を確保。
 明治21年には大阪に伊予物産会社を創立し、利益を独占していた大阪商人と対抗し、「網代海王」とも言われた。
 県議会議員も務め、第1回特設県会において旧高松藩士族で維新後香川県大属まで勤めた議員松本貫四郎に対し、
 平民出身の盛三郎は「松本貫四郎の駁議はそれがしに対して礼を失するものと言うべし。
 (中略)それがし、管内の僻隅に居り、いわゆる井底の痴蛙といえども、また少しく見るところあり。」と一喝した。
 元松山東雲短大特任教授で古建築研究家の犬伏武彦氏が著書『南海僻隅の痴蛙なれど―浦和盛三郎伝』で
 浦和盛三郎の波乱の生涯を綴った。

『もろもろ。そして、時代おくれ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

1)全社の照明をLEDに切り替えたら・・「LEDってちょっと寒いんです」というクレーム(笑)

なるほど。熱を発さないからこそ経済的なんだな・・と知らざる副作用を知らされました。

2)福岡放送の社をPRするラップが評判です。A社長もラッパーの格好で登場してらっしゃいました。

「田中さんあたりもどうですか?」

僕は無理です。
一部の人は知っているけど、僕は・・♪目立たぬように はしゃがぬように♪(河島英五「時代おくれ」)がモットーなんです。

でもラップならうちの津野ディレクターがいるしな・・とも。

3)今日は午後から葬儀列席のため黒服出勤です。こういうときはその時までのネクタイのセレクトが困ります。

で。母校の公式ネクタイにしました。

4)NHKFMを聴いていると「次回のクラシック・リクエストは生放送でお送りします・・」と。

生放送の意味があるのかしらん・・と思いながら、そういう心意気がラジオって一番大事なんだよなあ・・とか。

もろもろ。そして、時代おくれ。

『杉原千畝(ちうね)の恩人』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

戦時中。リトアニアで沢山のユダヤ人にビザを発給し、
6000人の命を救った外交官・杉原千畝を顕彰し名誉回復をしたのは、
当時の外務省政務次官の鈴木宗男さんでした。

杉原がドラマになって有名になっても鈴木宗男さんの功績を誰も知らないし、語りません。
ユダヤ人の恩人は杉原で、杉原千畝の恩人はあなただったのに…。

昨夜。あなたのエネルギッシュな講演をたっぷり聴きました。
ステージ3の胃ガン手術を二度も経験されているとは思えません。

例は悪いのですが、ヒトラーの演説もこうだったんだろうと思います。
聴き手の魂が気持ちよく揺れる。

今日の日ソ首脳会談の見通しもよく分かりました。

あなたの迫力、信念に学びたいと心から思いました。
あなたを見習って、もう少し強くなろうと思います。
帯状疱疹のチクチク痛みなんか、なんのこっちゃありません。

出会いに感謝です。神様ありがとう。

※杉原千畝 1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日
 第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニア・カウナス領事館で、
 ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人に、外務省からの訓令に反してビザを発給し、
 彼らの亡命を手助けする。
 鈴木宗男氏は杉原氏夫人の著書『六千人の命のビザ』に感激し、杉原千畝の名誉回復に尽力した。

『”永遠”などないのだけれど・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

友情も愛情も永遠ではないことを僕たちは薄々知っています。
「私たちの友情は一生だよね」と誓い合った女子中学生が高校受験や大学進学などで離れ離れになってしまうことなど
当たり前です。

でもそれは裏切りとかではなくて、「成長」であったり「人生」の道程なのだと思います。

「あんぱんまん」に熱狂していた二歳児が、三歳になると同時に興味を完全になくすことによく似ています。

でも、人は”永遠”を欲しがります。
が。あの時の情熱も友情も、愛情も・・すべて嘘ではないのです。みんな真実。

FBの四年前の今日の日記に懐かしい写真が保存されていました。

「ヒコヒコタイム生前葬」の時のスタジオショット
(かつての相方・林浩彦さんと番組リスナーとして遊びに来てくれた野志・松山市長)。

当時僕は常務さんで、放送現業の担務から外れることになって、
ならば今のうちに(笑)やりたかったことをしておこうと企画しました。

その後「武左衛門」のラジオドラマ制作までが・・それでした。

実は・・まだやりたいことはあるんだけど・・と思いながら、ほろ苦い思いと幸せな記憶にしばし浸りました。

『雨の火曜日に…』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

あなたの訃報を愛媛新聞の朝刊で知りました。

あなたの穏やかな口調で語られる取材にもとづいたお話はいつも説得力がありました。

あなたの書かれた・・・
『南海僻偶(なんかいへきぐう)の痴蛙(ちあ)なれど』を初めて読んだとき。
これは僕が創らなければいけない物語だと思いました。

浦和盛三郎という明治人がいたという事実。
南予人のプライドと世界を見据えていた偉人が由良半島にいたという事。
「私は、南の果てに住む井の中の蛙のような馬鹿だが、そんな私にも民主主義のなんたるかはわかる・・」という
第一回愛媛県議会の浦和の名演説。
それを聞いて感動した正岡子規と柳原極堂少年。

それを全部、教えてくれたのはあなたでした。

ラジオドラマにしたいと言った時、あなたが嬉しそうに頷いてくださったこと。

制作をしている過程で突然、浦和盛三郎の孫娘さんから届けられた100万円の現金。
「これで、ドラマを作り上げてください」と達筆のお手紙。
勿論。お返しして、南海放送の仕事ですから任せてくださいと申し上げたこと・・・

懐かしいエピソードばかり思い出されます。

犬伏先生。
ありがとうございました。

雨の火曜日に…あなたを思います。

犬伏武彦さん 古建築研究家 今月10日死去(75歳)
 大阪府出身。大阪工業大学工学部建築学科卒業。
 松山工業高校、東予工業高校の教諭をしながら、愛媛県内各地の民家・古建築を調査研究。
 2002年から松山東雲短期大学特任教授を10年間務める。
 四国最大級の茅葺き木造民家「土居家」(西予市野村町)、江戸期の俳人・栗田樗堂が建てた「庚申庵」(松山市)の
 修復に取り組む。
 また、道後温泉本館保存修復計画検討委員会の会長を務める。
 (写真は南海放送ニュースより)

朗読ラジオ劇『我、南海僻偶の痴蛙、なれど~岬に立つ少年・浦和盛三郎伝~』
 2010年制作。日本放送文化大賞参加作品。
 
 

『想い出は蚊帳(かや)の中・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

小さい頃。夏のお盆にお祖母ちゃんちに行った時、
集まった親戚のイトコ達との一番の楽しみは、蚊帳の中で”つばえる”ことでした。

屋内にテントを張ってキャンプしているみたいな気分になって”少年たち”は昂まったものです。
蚊帳の中の熱狂!!

%e8%9a%8a%e5%b8%b3%e3%81%ae%e4%b8%ad

今。会社は外壁の補修工事をやっていて、窓から松山城を写すのですが、ご覧の通り蚊帳の中状態です(笑)
・・・が。いっこうに昂まりません。

従兄弟達がいなくなったせいなのか!?
或いは・・僕が少年ではなくなったせいなのか。

ポールサイモンの「僕のコダクローム」が聴きたいです。

※Paul Simon「Kodachrome(邦題:僕のコダクローム)」1973年

『キャメルが似合わない・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

伊予鉄道本社。正式には今週の金曜日にオープンする「坊っちゃん列車ミュージアム」(入場無料)と
「スターバックス コーヒー」の内見会に行ってまいりました。

四国最大のスタバ。

これで今後、紀伊國屋書店→スタバ、ジュンク堂書店→スタバの新ルートができます。
ちなみに一番町の場合は、明屋書店→ブランチコーヒー・・です。

本屋とコーヒーショップは人生のワンセットなのです。

%e4%bc%8a%e4%ba%88%e9%89%84%e3%83%9f%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%82%a2%e3%83%a0

ミュージアムでは(写真のように)明治の頃の伊予鉄道の乗車券など貴重な資料が展示されています。
一等乗車券には、創立者・小林信近社長の名前とハンコまで押されている・・まるで株券です(笑)。

この頃の価値観がよくわかります。

いいですねえ・・。

どうでもいいけど今日してきたキャメルカラーのネクタイが似合わないです。

東京キー局からいらっしゃる女性幹部とご一緒するからと、勇んでみたのがイケマセンでした。

※「坊っちゃん列車ミュージアム」12月9日(金)オープン 伊予鉄道本社ビル1階(松山市湊町)
  開館時間:7:00~21:00 入場料:無料