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『紫色のシャツ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

深夜放送「ポップスヒコヒコタイム」の有名リスナーの一人だったペンネーム「紫色のシャツ」。

彼女はラジオリスナー同士で結婚して、今は東温市にすんでいる。

ペンネームが長くて面倒だから僕は「シャツ」とだけ読み飛ばしていたら、やがて彼女自身も「シャツ」と書きだした。

なんだか申し訳ない。

その「シャツ」から絵葉書が・・・。ヨーロッパ旅行中らしい。

ドイツならばグロリア・エステェファンじゃなくて、ネーナ(「ロックバルーンは99」1983年にヒット)あたりにしなさいよ、とは思うけど・・・(笑)

旅先にいて。

ふと、今はなきラジオ番組を思い出してくれるというのは、ありがたいです。

『新しいもの。旧いもの』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

新婚さんから頂いていたワイヤレスイヤホンをいよいよ本格稼働させることになりました。

プールのウォーキングタイムに音楽が欲しくて・・スマホの防水カバーも手に入れたし、よしよし。来週から新しい文明の機器と一緒します。

3代前の社長さんだったDさん宅にお邪魔して、50年以上前の資料をいただいてきました。

昭和38年。Dさんがラジオ制作課の課長時代。

作家・才神時雄さんの出演したラジオ番組の内容を書き残していた制作ノートです。

僕みたいな面倒くさがりからすると気絶するほど丁寧な仕事ぶりです。

うちのラジオの歴史のなかでもプライスレスな宝物。

新しいもの。そして旧いもの・・・。

そんな二つに囲まれて、僕はちょっとウキウキしています。

『スタジオの秒針が見れてない!!』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

23時55分から撮影タイムと告知していたのに、話に熱中してスタジオの秒針が目に入らず(笑)曲に入った時は、すでに23時57分!

怜悧に時間を計算して喋っていた全盛時代はどこに行ったぁ?!・・・と、猛反省。

『和彦・はつみのTHE青春シャッフル!!』

南海放送PALスタジオに集まってくれた沢山のリスナーの皆さん。年に一度のワイワイタイム(笑)ありがとうございました。

『24時間テレビ』は続きます。

『M君の来訪』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨夜。M君から「明日、松山に行くのですがお時間ありませんか?」と連絡が・・・。

高校時代。大分から毎日のようにリクエストカードを「ポップスヒコヒコタイム」に送ってくれていた有名ラジオリスナー。

バイク狂でそのままヤマハに入った「ウルトラの父」君と二人して(当時は県外リスナーと呼ばれていた)大分組の双璧でした。

「僕にとっては音楽の先生ですから、恩師に会いに来た気分です」とM君。三人のパパ。

ラジオの、ポップスの、ロックの黄金時代でした。

彼は今、農林水産省の役人さん。明日の日本の林業に命をかけていて、現在は宮崎県庁に単身で出向している課長さん。

彼が受験生の時に会って以来だから、30年ぶりの邂逅。

受験に失敗した時に「Mさあ。人生っていうのはこっからなんだぜ」と僕に励まされて、やる気スイッチが入ったんだそうです。
(・・言った本人は覚えていませんが・・笑)

「和彦さんがロックな雰囲気のままなので、嬉しかったです」と言葉を残して、全国大会とやらに出かけました。

彼のハガキの文字まで今も覚えています。

ペンネームが当たり前だった時代に彼は本名を”かな表記”で書いていました。

M君・・・大分の「みえのひろみち」君。

逢いに来てくれてありがとう。ヒューイ・ルイスな気分になれました。

『聞きたかったこと。聞けなかったこと。』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

午前中。JALの植木会長さんとご一緒しました。数年前、この会社で機長出身として初めて社長になった方。

植木さんが飛行機に乗った時は機長は緊張するんじゃないですか?

「はい。たまたま着陸がドスンときた時なんかは、この下手が?!と言いますね」(笑)

(そうか?!僕がラジオ番組がつまんないと思ったら、遠慮しなくてもいいんだ?!)

聞けなかっこと。

彼の父親は言わずと知れた昭和の名優・片岡千恵蔵なんだけど、植木さんも子役として何本か映画にでている。

ネットかなんかには「ある撮影で、上手に泣けなかった植木少年を千恵蔵は怒って、ビンタした・・・それで少年は俳優をやめた」と書いてありますが、あれ?本当なんですか?・・・と。

いずれにしろ。片岡千恵蔵はその息子がのちにJALの社長・会長になったことも知らずにこの世からいなくなっています。

今日のランチは一人なのに、ほろ苦く「人間っていいよなぁ」・・・と、そんな思いで充実しています。

『泥濘(ぬかるみ)』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

お盆休みのお相手は(愛媛出身の)黒川博行「泥濘」と最近ささっている柚月裕子(「孤狼の血」「凶犬の眼」・・・最高でした)

ちなみに「泥濘(ぬかるみ)」

伊予弁では「じゅるたんぼ」と言います(笑)

特に西条、今治、松山の一部で・・・。

平成のうちに伝えておきたい「ふるさとなまり」の一つです。

『チャランポラン』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

作家・島田雅彦の書いた文章に「チャランポランはペルシア語で“いい加減でふらふらしている”いう意味である」・・・と。

調べてみたら、正確には「チャランデ・ポランデ」。

偶然なのか?!マジで語源なのか?!分かりません。

なにせ、知り合いにイラン人がいないから確かめようがありません。


40年前。チャランポランな番組(※当時の写真)をしていた二人が今年も8月25日(土)の23時から生放送「ザ・青春シャッフル」をやります。

なぜか、チャランポランが許されてきた平穏無事な“ラジオの幸運”・・・に感謝しています。

『僕も誰かと共生している』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

ニューカレドニアを「天国に一番近い島」と名付けたのは作家・森村桂でした。

早熟な僕は中学2年の時にドストエフスキーより先に彼女の「結婚志願」を読みました(笑)。

デパートの「ニューカレドニアと美しいサンゴ礁の水族館」のオープニング式に参加して(新聞社と他局の主催なんですが・・・)多分僕一人、森村桂を思いました。

今日は午後から宇和島で葬儀に参列するので黒服。せめてめでたい開展式にはと、赤いチーフを入れていきました。

目を引いたのは「ウツボとエビの共生」。

エビはウツボの表面にいる寄生虫を取ってくれるんだそうです。

その代わりにエビの天敵達は、ウツボが怖くて寄ってこない・・・曰く「共生」。

不思議な光景ですが、人は一人では生きていけない・・・例えです。

森村桂が亡くなって10年以上が経ちました。記憶では精神を病んだ上の自殺だったはず・・・。

葬儀で、友人代表の弔辞が美智子皇后だったことだけ覚えています。

「共生」・・・僕は誰と一緒なんだろう。