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『ミヤジーありがとう!!』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

本日をもって南海放送を去ることになったミヤジーこと、宮嶋那帆アナウンサーに朝一番、退職辞令をお渡ししました。

7年間。

7年という事は、旧局舎の道後時代を知らない世代な訳です。

今後は家庭に還り、しばらくママさんとして育児に奮闘するとか・・・。経験されてる女性はご存じの通り、それだけでも大変な仕事です。

彼女のお父さんとはパーティなどでもよくご一緒しました。

彼女が独身時代の印象的な会話は・・

最近、宮嶋君が綺麗になりましたが彼でも出来たんじゃないですか?

「そうですか? 母親にしかそういうこと言わないから、帰ったら聴いてみますわ」

で、案の定。今のハンサムな旦那がそばにいた!(笑)という。

しかも彼はウチの息子と同じ学校の同級生でした。

特に産休明けにいきなり始まったテレビ生放送「Qクエ」は大変だったと思います。
無理を100以上言ってきた気がします(笑)・・

なので。

サヨナラでなく、ありがとうを・・。

ミヤジーありがとう!!

『それを言っちゃあ、おしまいよ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

ラジオで振り込め詐欺の年間被害額を聞いて、ちょっとぞっとしました。
どんな組織か知らないけど、ふつうの会社みたいに各月の売り上げ目標とか対前年比とかがあるんでしょうか。

雨の出勤途中。
スマホで、社内メールのチェックをしながら、そんなことを考えました。

すべての人が理想の仕事に就けている訳ではないし、職業に貴賎はないのだけれど、
人として「それをやっちゃあおしまいよ」って事は存在しますよね。

フーテンの寅さんが言った名言。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」

…は、身内が身内の悪口を言う…というルール違反を指していました。

たとえばおいちゃんが「おめえみたいな甥っ子を持って恥ずかしいよ、死んでしまいたいよ」とか言うシーン。
するとすかさず、寅さんが言い返す。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」、で旅に出る。

失言をマークされ、取材陣がいる前で又、舌ったらずを言っちゃうどっかの政治家の事ではありません。

『ふりむくな、ふりむくな…』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

DJにとって葉書は一番大事なアイテムでした。

入社して暫くの頃。ハガキが値上がりするタイミングで「ハガキ供養」というのを企画して、
お坊さんを呼び、社内のラジオ関係者を集めました。

報道部にニュース取材をしてくださいと言ったら
「お前らの遊びに付き合えるか?!」と追い返されました。

…ま、そんな時代だったのです(笑)。

僕が今、権威主義や官僚主義を許さないのは、例えばそういうことがあったからです。

昨日。切手を買いにいったら「6月1日から葉書は52円から62円に値上がりします」と…申し訳なさそうに。

郵便局員さんの対応は全公務員のなかで一番素晴らしいです。嫌な思いを一度もしたことがありません。

在庫があるから、ならばと82円と52円のを10枚づつ買い足しました。

僕にとって葉書はロマンチックな歴史と思い出の宝庫です。

“ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない”

…そう、寺山修司は言うけれど。

※寺山修司 詩『さらばハイセイコー』より。

『採用ミス・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

広報部が「懐かしい写真がでてきました」とこんなのをくれました。

宇都宮民さんが新人アナウンサー時代だから、僕はいくつだったんだろう? まだ前髪あるし(笑)

「真面目そうな顔をしているから固いニュース番組用に君を採用したんだ」と、
当時の部長にいわれたことがありました。

「だのに・・・採用ミスだった」と。

報道とか、ニュースが嫌いで、ラジオの音楽番組ばかりしたがるのでそう言わせてしまったみたいです。

そんな背景があるニュースキャスター時代の宣伝用写真。

個人的には「死ぬほど」ほろ苦い時代です。

だから・・ちっとも幸せそうじゃありませんね(笑)

『01.秒の間。そして、1ミリの技』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

「日曜日に放送するラジオドラマをチェックしてください」と言われたので、
褒めてほしいの?  それとも審査員の耳で聴いてほしい?
「そこは厳しくお願いします・・」

ならば・・・と、気がついた事を書き込みながら「アラヘン」(完成前の粗い編集ものという意味です)を聴いたら、
台本が真っ赤になりました。

スタッフを呼びます。

一番出来ていないことはセリフとセリフの「間」です。
もう01.秒空けないと、耳だけで聞くリスナーが付いてきてくれません。

BGMの使い方の基本ができていません。セリフって音楽に負けるんですよ。選曲もよくないです。

・・・と正直に。

放送日までにどこまでブラッシュアップできるか、楽しみにしています。

家の表札を変えたんですが、白地にシルバーの表記だったので見えずらいことがわかり、
昨日職人さんがやってきて作り直されました。

TANAKAのシールををシルバーと黒字で二つ作ってきて、それをずらして張り付けて「影」のように仕上げたのです。

「右上に、1ミリずらして、もう少し、右!」とかを建築士の女性と二人で話し合いながら・・です。

成る程。凄いですねえ。さすが、プロですね。プラモデルなんか上手に作っていたでしょ。
「はい、はい。好きでしたね」
タミヤのやつとか?
「懐かしいですね。TAMIYA!!!」

そんな軽口をたたきながら、ラジオドラマの「01.秒の間」とつながる話だよな・・・とか、ふと思いました。

今朝のBGMは「マイライフ」(ビリー・ジョエル)です。

※ラジオドラマ&シンポジウム『盲天外’s eye ~日本一になった盲目村長~』
  南海放送ラジオ 4月16日(日) 12:00~14:00 放送

※「My Life」Billy Joel (1978年)

『ソローキンの見た桜』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

大昔に作ったこのラジオドラマをいつかテレビドラマにしたいよね、と仲間たちと妄想しているのですが・・・

「今年もまた、撮り忘れましたね」と役員さん。
ドラマにするなら桜のロケハンをしておいて映像を取りだめしておかないと・・という意味です。

『ソローキンの見た桜』のラストシーン。

主人公が「なぜ、ロシア将校ソローキンは松山に帰ってこなかったのか?」その真実を知って、
それを告げにソローキンのひ孫の女性のつとめる女学校に足早に急ぐ。。

実は、主人公はかすかな恋心を彼女に抱いていたのです。

坂道。

彼の頭上からは桜の花びらが舞い散る。

「もう一度。ソローキンにこの松山の桜を見せてやりたかった・・」 

彼は心の中でつぶやきます。

そこでエンディング。

1時間ほど時間が空いたので、堀之内を散歩してきました。

青空と、何かを求めている人に「桜」はとてもよく似合います。

※ラジオドラマ『~松山ロシア人捕虜収容所外伝~ ソローキンの見た桜』
  2004年6月放送、第一回日本放送文化大賞・全国最優秀グランプリ受賞作品

『雨の日のデイリー新聞』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

トヨタの社長さんはトヨタに乗るだろうし、

グリコの社長さんはプリッツを食べるだろう・・。

だからうちの会社もエレベーターにラジオを流しています。

旧・局舎でラジオセンターの部長をしていた頃。そのお願いをしたら、総務局長さんに大反対されました。
「うるさい!」と。
はぁ!? うちがなんで稼いでいると思っているんですか!?
「テレビだ」と。
なんですって!? と、さんざ喧嘩してラジオのオンエアーが社内で流れ始めました。

今朝。本社のエレベーターで偶然にアーロン・ネヴィルの声を聴きました。
いいねぇ。
たとえば月曜日の雨の朝に、名曲がかかるラジオ局。それが僕の理想です。 ありがとうね。

コンビニにデイリー新聞を買いに行ったら、お隣の新聞社の社長さんとばったり。
今日、休刊日だったのでデイリーを買いに来ました、と。
「田中君、阪神(ファン)だものね」

ちなみに出版業界の友達から「デイリースポーツの社長さんは今もゴーストライターとして本を書いているらしいですよ」と
教えてもらいました。

いいねぇ。いいなぁ。素敵な社長だなぁ。

なんだ。遠慮なんかしない方がいいんだな。

※アーロン・ネヴィル(Aaron Neville) アメリカのR&Bシンガー。1941年1月24日生まれ (76歳)

(写真は今日の堀端・札の辻の桜です)

『再会!どどんがドンチャン』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨日、日本語学校を卒業したインドネシア人学生のミュージカル『蓮池伝説』を観に出かけました。

開演前の松山市民会館・中ホール。

「田中さん!覚えていますか?」と声をかけてくれた関係者の一人。

なんと?!かつての深夜放送『ポップスヒコヒコタイム』時代の有名リスナー!
“呉のどどんがドンチャン!”ではありませんか。

お前、幾つになったの?

「45です。」

何しているの?…と聴いたら、名刺をくれました。本名は忘れてました(笑)

なに?! 広島経済大学の准教授!!
大学の先生になったのか?!

「はい!」

ハガキ職人として凄い才能あったから、さすがです。

やはり外に出ないとな。

人との出会いは、皆んな外。

寺山修司の名言を再び頭に浮かべました。

“書を捨てよ、町へ出よう”

逢えて良かったよ。どどんがドンチャン!!

『ドント・ノウ・マッチ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

高校を卒業して初めて買ったネクタイは赤地に黄色の水玉模様でした。
これをグリーンのジャケットに合わせていました。

(今なら絶対セレクトしません・・笑)

その格好で上京前の春休みに銀天街を闊歩していたのですから、思い出すだけでもぞっとします。

人生は簡単なことですら迷ってばかりで、意外と間違えた選択を多くするものです。

『ドント・ノウ・マッチ』(リンダ・ロンシュタット&アーロン・ネビル)はそんな歌詞でした。
1989年のグラミー賞で絶賛された名曲。

但しラブソングだからラストの歌詞に救いはありました。

“分からないことばかりの人生だけれど、この愛があれば・・・”と。

初心に帰る…ではなくて、たまには「初心者に還る」で、水玉ネクタイで出社しました。

拝啓 DJ・熊本フミ様。
今度雨の日があったら、朝のラジオで『ドント・ノウ・マッチ』かけてくださいね。

『1972年の思い出し笑い』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

松山城。堀之内の桜がほころび始めました。

春の本格的な陽光にくまもんの腕が動いています。

桜には忘れることのできない思い出が一つだけあります。

1972年の4月8日。

大学の入学式。18歳の僕と上京に付き合った当時40歳の母親との桜が満開の大学キャンパスでの会話。

母親が感極まったように一言。

「いい大学だねぇ」

そうだろ。僕が憧れたたんだから・・と大隈講堂に視線を移しました。

しかし母親はその時、眩しそうにキャンパスの桜を眺めまわしていました。

そこかよ!!?? (笑) と無言でツッコミ、笑ってしまいました。

10年後に弟が、さらに息子がこの大学に合格した時も・・・

「あそこは、いい大学だよね」と遠くを見るような目で一言。

また・・桜かぁ!? (笑)

母の葬儀でこのことを話そうと思っていたのですが、もうちよっと先みたいだから、
この春に、桜の中で・・忘れないうちに書き残しておきます。

シーフードカレーが食べたい朝に・・。