金沢で貴女にまた逢えました。作家・吉永みち子さん。
大昔の某エッセイ賞で、最優秀に輝いたのが貴女の作品。次席の優秀賞が僕でした。
あの時。東京の授賞式でお逢いして以来、30年ぶり。
「田中さんじゃないの!」
覚えてくれてましたか?
「覚えているわよ!」
あれから貴女は大宅壮一ノンフィクション賞を受けられ、トントン拍子に第一線の作家に…。
僕は文筆を諦めて、ラジオドラマで憂さ晴らしする放送局マンに…(笑)。
でも、貴女がいたから、今の僕がいます。
民間放送教育協会の会長の貴女。
その全国大会に参加した…僕。
金沢の前夜祭のパーティ会場でまた、巡り会えた幸せを思います。
あの時の僕の作品タイトルは「1975年のララバイ」でした。
ならば。
「2015年の邂逅」を神に感謝です。
覚えていてくださり、ありがとうございました。
愛媛県木材協会さんからのご提供を受けて、ウッディなスタジオ(右側)が今日、誕生しました。
午前中にその引渡し式が行われたんですが、いい感じです。
媛すぎ、媛ひのき・・・をふんだんに使っているそうです。
“ひのき”というとすぐお風呂を浮かべてしまい(笑)、なんとなく和みます。
(安心してください・・服着てます・・笑)
11月からの「HOT情報」がメインですが、「もぎたてテレビ」でも画面インしてくると思います。
どっかから「カントリーロード」(ジョン・デンバー)が流れてきそうな、ふるさとの薫り・・・ありがとうございました。
先週来。過去作品の資料の”おかたづけ”を続けています。
この8年前のラジオドラマは、”漱石と子規の友情は「源範頼(義経の兄です)」が共通キーワードだった”という仮説で創った作品でした。
範頼の墓が伊予市の鎌倉神社にあります。明治の頃、そこには子規も漱石も出かけ、それぞれに句を残しています。
ラジオドラマとして読み返してみると・・・脚本に面白みがない!! (笑)
高校生の恋みたいに、一生懸命書きすぎている気がしました。ラジオマンの愛おしい失敗作です。
但し、エンドタイトル曲に使った「イフ」(ブレッド)は、ラストに二つの句を読んだナレーター・片倉ごんさんの声に実にマッチしていました。曰く・・・
鶺鴒(せきれい)よこの笠叩くことなかれ(子規)
範頼の墓濡るるらん秋の雨(漱石)
・・・・それぞれ、範頼の墓の前で詠んだふたりの俳句です。
ラジオから。
耳から入ってきた音、音楽、思い出は永遠ですね。
※ ※ ※ ※
昨夜からいらしているTBSラジオの社長さんとランチに向かう時、空の蒼があまりに澄んでいることに気がつきました。
10数年に渡って、首都圏で圧倒的に聴取率首位をとっているキー局のトップが視察に来ていただけるって、南海放送ラジオは幸せものですね。
文豪二人に愛された範頼くらい幸せだと、僕は思っています。
山口放送の知り合いに頼んで、テレビ番組「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚者の記憶」のDVDを見せてもらいました。
・・立ち竦みました。
昭和20年の古地図に残された「特殊婦人相談所」という場所が、山口の港町になんであったのか?
ほとんど90歳を超えている関係者の取材を丹念にしてまとめた作品です。
「特殊婦人相談所」・・満州から引き上げてくる途中、ロシア軍に陵辱され、暴行されて「妊娠」や「性病」に罹患したおびただしい数の女性たちのための場所でした。
僕のようにエンターテインメント番組しか創ってこなかった人間は、とにかく、その事実の重さに立ち竦みました。
戦争ものというと「反」とか「ナショナリズム」を煽るものが多くて、僕は辟易することが多かったのですが、さすが「正義」の山口放送。 (「正義の・・・」友人も尊敬する方も多いこの局を僕はいつもそう呼んでいるのです)
“煽るでなく、罵るでなく・・”を貫いたのは流石です。山口放送らしい。
今年度の日本放送文化大賞の候補作品の一つ。
「賞」云々などはもしかしたら、どうでもいいのかもしれない・・そんな気持ちにさせられる「作品」でした。
老婆がポツリ言った一言が胸に残りました・・「戦争に負けるということは、そういうことなんです」
制作ディレクターと山口放送に脱帽です。
思い立って、過去のラジオドラマの資料・写真の整理ファイリングを始めました。
取っ掛かりは、年代順でなくて、やはり・・思い入れ順(笑)。
全国から賞賛を受けた作品より、運悪く”栄光”に一歩届かなかったモノの方がいつまでも心に残ります。
(うちは一人しかいなかったからピンと来ませんが・・)
馬鹿な子供ほど可愛いと世間は言いますよね(笑)。
そうかもしれません。
2012年に創った「藤原純友(すみとも)」。
海賊なんかじゃない!・・
と世間にそれだけを言いたかったラジオドラマ「純友ロック」
何年か後。この会社の後輩の誰かが、これに挑む時、リベンジしてくれる参考になればと・・(笑)。
2012年にはこんなアホな先輩がいて、こんなことを真剣に考えていたのかと、笑ってもらうために・・。