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『ソローキンの見た桜』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

大昔に作ったこのラジオドラマをいつかテレビドラマにしたいよね、と仲間たちと妄想しているのですが・・・

「今年もまた、撮り忘れましたね」と役員さん。
ドラマにするなら桜のロケハンをしておいて映像を取りだめしておかないと・・という意味です。

『ソローキンの見た桜』のラストシーン。

主人公が「なぜ、ロシア将校ソローキンは松山に帰ってこなかったのか?」その真実を知って、
それを告げにソローキンのひ孫の女性のつとめる女学校に足早に急ぐ。。

実は、主人公はかすかな恋心を彼女に抱いていたのです。

坂道。

彼の頭上からは桜の花びらが舞い散る。

「もう一度。ソローキンにこの松山の桜を見せてやりたかった・・」 

彼は心の中でつぶやきます。

そこでエンディング。

1時間ほど時間が空いたので、堀之内を散歩してきました。

青空と、何かを求めている人に「桜」はとてもよく似合います。

※ラジオドラマ『~松山ロシア人捕虜収容所外伝~ ソローキンの見た桜』
  2004年6月放送、第一回日本放送文化大賞・全国最優秀グランプリ受賞作品

『雨の日のデイリー新聞』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

トヨタの社長さんはトヨタに乗るだろうし、

グリコの社長さんはプリッツを食べるだろう・・。

だからうちの会社もエレベーターにラジオを流しています。

旧・局舎でラジオセンターの部長をしていた頃。そのお願いをしたら、総務局長さんに大反対されました。
「うるさい!」と。
はぁ!? うちがなんで稼いでいると思っているんですか!?
「テレビだ」と。
なんですって!? と、さんざ喧嘩してラジオのオンエアーが社内で流れ始めました。

今朝。本社のエレベーターで偶然にアーロン・ネヴィルの声を聴きました。
いいねぇ。
たとえば月曜日の雨の朝に、名曲がかかるラジオ局。それが僕の理想です。 ありがとうね。

コンビニにデイリー新聞を買いに行ったら、お隣の新聞社の社長さんとばったり。
今日、休刊日だったのでデイリーを買いに来ました、と。
「田中君、阪神(ファン)だものね」

ちなみに出版業界の友達から「デイリースポーツの社長さんは今もゴーストライターとして本を書いているらしいですよ」と
教えてもらいました。

いいねぇ。いいなぁ。素敵な社長だなぁ。

なんだ。遠慮なんかしない方がいいんだな。

※アーロン・ネヴィル(Aaron Neville) アメリカのR&Bシンガー。1941年1月24日生まれ (76歳)

(写真は今日の堀端・札の辻の桜です)

『再会!どどんがドンチャン』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨日、日本語学校を卒業したインドネシア人学生のミュージカル『蓮池伝説』を観に出かけました。

開演前の松山市民会館・中ホール。

「田中さん!覚えていますか?」と声をかけてくれた関係者の一人。

なんと?!かつての深夜放送『ポップスヒコヒコタイム』時代の有名リスナー!
“呉のどどんがドンチャン!”ではありませんか。

お前、幾つになったの?

「45です。」

何しているの?…と聴いたら、名刺をくれました。本名は忘れてました(笑)

なに?! 広島経済大学の准教授!!
大学の先生になったのか?!

「はい!」

ハガキ職人として凄い才能あったから、さすがです。

やはり外に出ないとな。

人との出会いは、皆んな外。

寺山修司の名言を再び頭に浮かべました。

“書を捨てよ、町へ出よう”

逢えて良かったよ。どどんがドンチャン!!

『ドント・ノウ・マッチ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

高校を卒業して初めて買ったネクタイは赤地に黄色の水玉模様でした。
これをグリーンのジャケットに合わせていました。

(今なら絶対セレクトしません・・笑)

その格好で上京前の春休みに銀天街を闊歩していたのですから、思い出すだけでもぞっとします。

人生は簡単なことですら迷ってばかりで、意外と間違えた選択を多くするものです。

『ドント・ノウ・マッチ』(リンダ・ロンシュタット&アーロン・ネビル)はそんな歌詞でした。
1989年のグラミー賞で絶賛された名曲。

但しラブソングだからラストの歌詞に救いはありました。

“分からないことばかりの人生だけれど、この愛があれば・・・”と。

初心に帰る…ではなくて、たまには「初心者に還る」で、水玉ネクタイで出社しました。

拝啓 DJ・熊本フミ様。
今度雨の日があったら、朝のラジオで『ドント・ノウ・マッチ』かけてくださいね。

『1972年の思い出し笑い』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

松山城。堀之内の桜がほころび始めました。

春の本格的な陽光にくまもんの腕が動いています。

桜には忘れることのできない思い出が一つだけあります。

1972年の4月8日。

大学の入学式。18歳の僕と上京に付き合った当時40歳の母親との桜が満開の大学キャンパスでの会話。

母親が感極まったように一言。

「いい大学だねぇ」

そうだろ。僕が憧れたたんだから・・と大隈講堂に視線を移しました。

しかし母親はその時、眩しそうにキャンパスの桜を眺めまわしていました。

そこかよ!!?? (笑) と無言でツッコミ、笑ってしまいました。

10年後に弟が、さらに息子がこの大学に合格した時も・・・

「あそこは、いい大学だよね」と遠くを見るような目で一言。

また・・桜かぁ!? (笑)

母の葬儀でこのことを話そうと思っていたのですが、もうちよっと先みたいだから、
この春に、桜の中で・・忘れないうちに書き残しておきます。

シーフードカレーが食べたい朝に・・。

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