『懐かしく、楽しく、嬉しい…事』

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By田中和彦

南海放送本町会館テルスターホールで「第2回 えひめe-Baseball大会」が開かれました。

今日は大会主催者ご挨拶の仕事から一日が始まりました。

ゲスト解説は、中村時広知事と始球式もやってくれた元ヤクルトの岩村明憲さん(宇和島東高校出身)
そしてピッカリ投法の佐野慈紀さん(松山商業高校出身)

岩村君も佐野君も、僕が実況中継していた高校球児時代からの知り合いだから、懐かしく、楽しい時間になりました。

コナミさんありがとうございます。

国体やアジア大会やオリンピックでも今後この「eスポーツ」が本格化しそうです。

最後に、身内を褒めるアホですが・・・

司会の竹内愛希アナ。和牛番組(「和牛のA4ランクを召し上がれ」)を担当するようになって一枚も二枚も実力がランクアップしましたね。

・・・それが嬉しかったです。

『小さな奇跡』

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By田中和彦

僕は今日、大きな発見をして、一人興奮しています。

読み直していた「小さな藩の奇跡」。

それは伊予小松藩(現・愛媛県西条市)の江戸時代の藩士が残した日記なんです。

小松藩。

全国に266あった藩の中で一番弱小の一万石。藩士は足軽をいれても100人足らず。城なし、公用の馬は一頭だけ・・・という貧しさ。

でも、小松藩は維新の時。新政府軍として倒幕軍に加わります。出した兵は精一杯の51人。新潟まで出かけています。

その時亡くなった小松藩の武士は1名。重傷1名、軽傷1名。

その重傷兵の名前が目にとまりました。
和田源八・・・かれは政府から「感状」を貰いました。

なに?! 和田源八!!

この源八こそが、僕が昔ラジオドラマを創り、今は顕彰会をしている“オーロラになったサムライ”和田重次郎の父親なんです。

「お前は侍の子なんだぞ」と母親にいつも言われていたという重次郎。

その通り、維新戦争に彼の父・源八は本当に行ってました。

このタイプの興奮は僕だけしか分からないと思うけど、誰かに伝えたくてFBに書き残しておきます。

『町の自転車屋さん』

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By田中和彦

毎週日曜深夜に日本テレビ系列で放送している「NNNドキュメント’18」。

その制作者担当会議という”勉強会”が今日から当社で始まっていて、全国29局から47人の若手・ベテランディレクター達が集結しています。

ご一緒していて、モノづくりのプロたちの目つきが実にいいので、気持ちよかったです。しかも半数は女性・・。

その冒頭のご挨拶を終えてから、パンクした自転車を押して近所の自転車さんに・・

「これは虫ゴムの劣化ですね。パンクじゃあありません」と、テキパキ仕上げてくれて、「はい、300円です」と。

300円!?

なんだか申し訳なくて、思わず・・あの古くなっているのでサドルも新しくしてください・・と(笑)。

僕たちローカル放送局って町の自転車屋さんと一緒だな。

どんな小さなことでもテキパキ、すぐに安く仕上げてしまう

・・そんなことを感じたものの、もう制作者たちへの挨拶は終わった後だし・・

『漱石が愛した街はどっちでショー』

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By田中和彦

…そんな企画を考えて、一面識もない熊本放送のラジオ制作部に電話したのは、確か大昔「松山ー熊本」直行便が開通するというニュースを聞いた時。

僕のアナウンサー時代。

お互いの局から「わが街こそ!!」とひたすら言い合うトークバトルで一応ゲストに地元の漱石研究家をつけてやりませんか?!セールスは各局処理でどうでしょう。…と熱く語る。

「良いですねぇ」と二つ返事。

こういう時。保守的な部長さんだと「正式な要請書と企画書をいただいてからにいたします。技術部にも聞いてみないと…」みたいな返事になるんです。

が、熊本放送とか中国放送とかの老舗局に限ってノリがいい!

「1時間は欲しいですね」と熊本の部長さん。
はい、できれば…と、トントン拍子でした。

夏目漱石
…松山在1年 代表作「坊っちゃん」
…熊本在4年3ヶ月 代表作「草枕」「二百十日」

熊本では意外と漱石に対してイメージが薄いらしいのです。新婚時代だったし、長女が生まれた地なのに…

「草枕」がマジな文学作品で、猥雑な「坊っちゃん」に比べて(笑)市民に読んでない人が多いせいなのかもしれません。

大文豪には失礼ながらこの人、「松山」「熊本」「ロンドン」と行った先々、二度と来るものか?!と出て行っている(笑)

東京以外は駄目だったんですね。

熊本もいい街なのに…。
(ロンドンは一泊二日しか経験ないからわからない)

漱石もいた熊本の朝。

ホテルの朝ごはんで「うまかもん」いただきました。

『何故かあなたを思い出す』

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By田中和彦

父方の祖母に懐いていたおばあちゃん子だったせいか、なにかにつけて未だにアレコレ思い出します。

3歳くらいの時。よく松山に連れて行ってもらいました。
(よく考えたら、今の僕は当時のおばあちゃんの年齢です)

お大師さんへのお参りがおばあちゃんの目的だったけど、こっちはお昼ごはんの「みつごし(三越デパートの事を何故か伊予市の人は濁音で言っていたのです)」のチキンライスがなによりも楽しみでした。

伊予鉄郡中線の駅を通過する毎に、次の駅を車掌さんより得意げに先に言う・・・ガキ。

「新川」「地蔵町」「松前」

すると、おばあちゃんが「カズヒコは賢いね」と頭を撫でてくれる。

うん。と答えて窓の外を向き直して、更に張り切3歳児(笑)

ところが、帰りの電車の記憶はなにもないのです。

駅名を言って褒めて貰って。
チキンライスを食べたら・・・それで“小旅行”の楽しみは終わりだったせいかもしれません。

高校2年の秋にそのおばあちゃんは亡くなりました。
ショックを受けた僕は、おばあちゃんの為に 生まれて初めて書いた小説を文芸部の会誌に出します。

凄く下手な文章でした。
(読むたびに道を誤らなくて良かったと思います・・・)

何故、こんなアタフタした出張のさなかにおばあちゃんを思い出したのか?!

さっき食べたオムライスの中のチキンライスのせいか?!

それとも・・・この山田屋まんじゅう(創業140年)のせいか?!