『吉田拓郎。そして村下孝蔵の海』

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By田中和彦

南海放送サンパークがまだアンテナ公園と呼ばれていた頃。

デビュー前後の吉田拓郎がギター一本抱えて広島からやってきた・・・と、大先輩に聞いたことがあります。

1970年あたりのことだと思います。

広島の大学生だった吉田拓郎がフェリーで海を渡っていたんだな、

そして その時なにを思っていただろう・・・と。

彼は後に「東京に出て行く」も「おけいと離婚しました」も、ラジオで発表しました。

『松山行きフェリー』を作った頃の村下孝蔵くんも松山のロープーウエイ街にあった伝説のライブハウス「9th」時代によくお会いしました。

1981、2年の頃。FM愛媛や僕のラジオの深夜放送が始まる直前でした。

彼も吉田拓郎と同じくこの瀬戸内海をしょっちゅう渡っていた訳です。

夢がいっぱいあったんだろうなあ。

これから帰る松山。

僕の夢は・・・なんだろう。(宇品港にて)

※「松山行フェリー」村下孝蔵 1980年