『幸せに思う、あれやこれや』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

(1)業界紙にちよっとしたラジオ論文を書いていたんですが、

  (社内からはノーリスポンスだったけど・・笑)

  他のラテ兼営局のK君から感想メールをいただきました。

  K君へ「僕は他局とはいえあなたを同志だと思っていますから、読んでくださっていたことがなにより嬉しいです。

  頑張りましょうね」と返信メールを送りました。

  PS、カープはもう少しタイガースに手を抜いてください・・とも。

(2)デパートのオープン前。いよてつ髙島屋の「選抜いけばな展」開展式に列席してきました。

  司会は作道泰子ちゃん。相変わらず可愛い。
  
  会うたびに「お前、いつまで可愛くいるつもりやねん。なんの血ぃすうて美貌をキープしているのか教えなさい(笑)」

  と軽口をたたくのですが、今日は上品な会場なので目だけで挨拶。

  僕がラジオに異動した頃。フリーになりたいというので頑張ってねと送り出したんです。

  そうしたら、すぐ他局でのテレビ出演が始まって、それを当時の上司が「田中君が甘いから、ああやって他局に逃げていくんだ」と。

  頭に来たから「なら、彼女のテレビ番組をウチが作ればよかったんですよ。なにもしなかったじゃないですか。

  彼女はどこで活躍しても、うちのラジオが実家なんですから、頑張っているねと褒めてやったらいいじゃないですか!」・・と。
  (また゛喧嘩っ早かった頃のお話です)
  
  ※写真のいけばな作品は24時間テレビなどで毎年お世話になっている池坊の矢能華奈先生の作品。

そして・・

(3)トーストにマーガリンをたっぷり塗って食べたくて仕方なかったんですが、思い通りの朝ごはんで一日がスタートできました。
  

・・・幸せに思う、あれやこれや。

『母の遺品』

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By田中和彦

北海道の妹が少し早目の彼岸参りに帰郷しました。

お寺さんだからお彼岸ウィークは本業が忙しいからです。

で。ついでに去年の夏に亡くなった母親の遺品整理を実家でしてもらっています。

「これ?いる?」とメールで連絡が・・。

途中で退部した大学のサークルの卒業記念ペナント。

もう一つは入社間もないころ。初めてラジオで喋った頃のスタジオショットです。

日曜の夜勤アナウンサーで、ラジオナイターが早く終わったら22時までスタジオで

何かDJをやって繋ぐ・・という仕事があったのです。

早くナイターが終われ、終われ、といつも思っていました。

いずれも1977年の頃です。

こんなのをおふくろは捨てずに置いてくれていたんだな・・・。

思いを噛みしめて、・・「いる!」と返信しました。

『大人のピンク』

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By田中和彦

ある会合でメンバーのご老人から呼び止められて・・・

「田中くん。こないだのテレビドラマ『赤シャツの逆襲』、見たんやけどな。

わし、小説『坊っちゃん』読んでないからな、なーんも面白なかったわ」

それは失礼しました。

・・・静かに頭を下げました。

20代の頃だと

「夏目漱石も読んでいない方がこの会のメンバーにいるとは知りませんでした・・・」とか、言い返してしまっていたと思います。

“大人”になりました。

『大人のピンク』、二日連続のピンクです。南海放送の“林家ペー”です。

昨日とはスーツもワイシャツもネクタイも全部違うからお許しください。

昨日数えたらピンクのネクタイがウチには5本もありました(笑)

「・・・アホやがな」と他人に言われても、

今なら、「はい!アホです」と笑ってお応えできます。

にしても。今日の松山城・・・最高です。