『ワインはうまく分からない』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

石川セリの「ダンスはうまく踊れない」(作詞・作曲:井上陽水)が好きでした。
で、それをタイトルに拝借しました。

♪♪ ワインはうまく分からない

先日、世界的ソムリエ・田崎真也さんのワイン教室&パーティにお誘いをいただきました。

刺身でいえば天然と養殖の違いも分からず、

日本酒でいえば一級と二級の違いも分からない

・・そんな奴にとっては、ハードルの高い教室でした(笑)。

ただ、未知の世界はやはり刺激的でした。

♪♪ ワインはうまく 分からない

・・なんて替え歌を歌いながら、冴え冴えした空気の中に浮かぶ今日の松山城を眺めています。

※日本酒級別制度は現在廃止されています。

『ドラマみたいなワンシーン』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

愛媛マラソンの総括会議みたいなものが当然、ある訳です。

運営面とか放送面とか、こまかく。

で。僕はあまり目立たないかもしれないけど…と、技術スタッフの凄さを褒めたんです。


系列ネットワーク6社や愛媛CATVの応援スタッフも混じった混成部隊でしたが、
音声・映像トラブルが6時間の長丁場でなかった事が凄い!と。

そしたら技術部門のトップが褒められた事にニコリともせず「いや、0.1秒ほどのフリーズが一回ありました」と。

フリーズというのは画面が一瞬静止することです。
箱根駅伝で今年初めて日本テレビはノーフリーズを達成できたらしく、それほど難しいことなんだそうです。

「愛媛マラソンは過去、2回ノーフリーズを達成しているんです。今年はダメでした」

そんなん僕らは気づきもしないわ(笑)大した問題じゃないじゃん。

「社長!!僕らはそれに命がけで取り組んでいるんです」

し、し、失礼しました。

(お前、メチャ格好いいやん。まるでドラマのワンシーンみたいだな、と。)

その場合。僕は道化の役回りになるんだけど…。

ランチタイム。そのシーンを思い出し笑いして、大きな伸びをしました。

みんな闘っているんだな。

『ギブ&テイク』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

かつてのコンビ。松沢はつみちゃんと半年ぶりくらいに会い、喫茶店で一時間以上だべってました。

そのままトークラジオになります(笑)。

「あーたさぁ。いやいや失礼しました田中社長・・」

バカにしとんかーい・・・という具合に。

ちなみに彼女は同い年ですが、留年して一年遅れ入社の僕にとっては社の一期先輩になります。

で、「あーた」であり「はつみちゃん」なのです。

彼女の老老介護から、僕のおふくろの話。ラジオの話。ここでは絶対書けない諸先輩の悪口・・(爆)。

バカ話は尽きませんでした。お蔭でいろいろ悩んでいたことがすっきりしました。ま、お互いかも。

付き合いは、いい距離感と対等なギブ&テイクがなければ続かないものですね。

今度会うのは24時間テレビの日です。

『祭りの後』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

テレビ放送が終わって愛媛マラソンのメイン・プロデューサーに「見事だった」と握手をしに行きました。

のに。

スタッフドキュメント班のカメラが回っていたので、恥ずかしくてそれができず、小さい声で「良かったよ」と。

演歌歌手が歌い終わりに声には出さず「ありがとうございました」と口の形だけでいうのと同じ感じ・・笑。

そのあと。何が良いって、選曲が良かったよ・・と冗談風に告げて現場を後にしました。

だって。泣けたもん。

スポーツ中継は「ストーリー」があるかどうかだもん。それが随所にあったもん。

うちは凄いわと思ったもん。

そりゃあアチコチでちょっと力量差があるスタッフの混合が気になったけど、そんなのは玄人チェックだもん。

僕は何の用もないのに朝4時起きで、いろいろ心配していました。

でもそれが何もなく終わりました。

祭りの後の「総括」を。

①笑えたミニオンランナーの事。

②台湾から来た女性3位のランナーが美人だったこと。

なにより・・③テレビ中継に泣けたこと。

なのに・・④握手ができなかったこと。

それらを全部まとめて・・・”ありがとう”

『Tディレクターのキュー』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

※キューとはディレクターが放送スタッフに始まりを告げる合図の事。通常「Qを振る」と業界では言われます。

今年の愛媛マラソンの制作マニュアルが届きました。
社外秘ですから内容は言えませんが、目標視聴率とか統一コンセプトや約束事がぎっしり書き込まれた冊子です。

「今夜の最終ミーティングにはスタッフに気合を入れにご挨拶に来てください」とプロデューサーに言われました。

去年、この話をしてみんなの前でプロデューサーを泣かしたものだから今年はしない話を・・改めて。

『その昔。僕が第一放送車の中継をしていた頃のボスだったTディレクター。

 気がついた時は肺がんが骨髄転移して歩けない状態に。
 本人の熱い希望に医者も折れて、愛媛マラソンの少し前に一時退院してソファーに寝転がった状態で、
 各所に大声で指示をだし・・
 マラソン当日もQを振り続けました。

 南海放送のスポーツ中継が”魂の叫びのような情熱”を第一のDNAとして意識しているのは、
 Tディレクター、”あなた”がいたからです。

 ”あなた”の姿をみてきた連中が今も、ディレクターやアナウンサーや技術スタッフに残っているからです。

 だから僕は今年もいい放送ができると思います。

 走る皆さん以上に、僕たちはそんな歴史や思い出を抱えているからです。』

愛媛マラソンに幸あれ・・。