ラジオ制作の最前線で部長をしていて、燃えに燃えていた10年くらい前。
具体的には旧社屋のラストデーの頃。
その頃の部下ちゃんの一人、橋口裕子(旧姓。僕は今だにこっちで呼んでいます)ちゃんがランチタイムに遊びに来てくれました。
ま、戦友みたいなもんですね。
彼女にとってはお墓参りに僕にお線香を上げに来た感覚かも・・・ちがうかぁ(笑)。
僕が入社した頃に生まれた世代ですから、ま、娘みたいなモンです。
橋口裕子ちゃんとの一番の思い出。
ちょうどテレビがアナログからデジタルに変わる時。
愛媛の各局はそれぞれデジタル・マドンナを選んで、NHKも一緒になって「デジタル時代到来」のPRをしていました。
彼女はラジオ局にいながら、当社のデジタル・マドンナでした。
(その他にも、あちこちのミスコンに、でろでろと僕は彼女を焚きつけていました)
後年。
東京で行われた彼女の結婚式の時。
新婦側の代表祝辞を言われて「県内のデジタルマドンナのうち、ウチの橋口が一番美人だと思いました・・」
・・を枕詞に話をしようと思って、マイクに立ったら、
なんと目の前のテーブルの出席者が全員、その時の他局のデジタルマドンナ達!! (爆!) (爆! ) ( 爆!)
流石の僕も、一瞬うっ!とフリーズしたことを覚えています。
結婚式の後。二次会はご遠慮して、神宮球場に「ヤクルト対阪神」戦を観に行き、9回裏。球児が登場。
三者連続三振でゲームを締めてくれて、スカットしたことを忘れません。
橋口裕子ちゃんは3歳の娘がいる今も相変わらず綺麗なのに、球児のストレートはあの時と比べて、随分スピードダウンしました。
流れた時代の「愉しさ」と「残酷性」が思い出の中に同居しています。
※えぐさゆうこ(旧姓 橋口裕子)
屋久島古謡や奄美大島の島唄、吐噶喇列島の古謡など南西諸島の島々の歌を歌う歌手として活動