今日は父親の命日。1999年に亡くなってますから・・17回忌を終えたわけです。
そんな日に実家の建て替えが始まり、旧家の取り壊しが始まりました。
北海道の妹はかつて宣言したとおり、それを見に来ました。
僕は意気地がないから、それを見るのが嫌で、忙しさを言い訳に拒否(笑)。
夜会って、お袋と妹と3人で食事だけすることにしました。
そんな日に・・秋川雅史くんがラジオスタジオに遊びに来てくれました。
「千の風・・・」は僕を含め日本人の多くの「死生観」を一変させた曲です。
いつも彼の肺活量は僕の何倍だろうと、そればかり思うのですが(笑)、
今日はしみじみ「千の風・・・」の詩の世界に思いを馳せました。
来てくれてありがとう。
先日のフェイスブックでご紹介した山口放送制作の「奥底の悲しみ」が、
第11回日本放送文化大賞のテレビ番組グランプリに輝きました。
戦後の混乱期。満州から逃げ帰る時、ロシア兵に性的虐待被害を受けた女性達のための施設があった事実の掘り起こし番組でした。
昨晩の前夜祭。
制作した佐々木ディレクターに「コンテストだから、審査員によって分からないけど、僕なら文句なしにグランプリだよ」と、声を掛けました。
良かったです。
山口放送の社長さんにも「グランプリ取れなくても、ウチは編成しますから放送させてくださいね」とお話したら、
「南海さんなら無条件でいいよ。喜んで…」と笑いあいました。
そして、今日決まったグランプリ!
グランプリを取ったので、日本テレビ系列各局で、これから放送されます。
是非。観てください。
そして…
もう一度、山口放送におめでとう!を。
来年はそう言い返して貰えるよう、我々も頑張りますね。
制作者の魂が報われる瞬間!
我が事のように嬉しい時間でした。
金沢で貴女にまた逢えました。作家・吉永みち子さん。
大昔の某エッセイ賞で、最優秀に輝いたのが貴女の作品。次席の優秀賞が僕でした。
あの時。東京の授賞式でお逢いして以来、30年ぶり。
「田中さんじゃないの!」
覚えてくれてましたか?
「覚えているわよ!」
あれから貴女は大宅壮一ノンフィクション賞を受けられ、トントン拍子に第一線の作家に…。
僕は文筆を諦めて、ラジオドラマで憂さ晴らしする放送局マンに…(笑)。
でも、貴女がいたから、今の僕がいます。
民間放送教育協会の会長の貴女。
その全国大会に参加した…僕。
金沢の前夜祭のパーティ会場でまた、巡り会えた幸せを思います。
あの時の僕の作品タイトルは「1975年のララバイ」でした。
ならば。
「2015年の邂逅」を神に感謝です。
覚えていてくださり、ありがとうございました。
愛媛県木材協会さんからのご提供を受けて、ウッディなスタジオ(右側)が今日、誕生しました。
午前中にその引渡し式が行われたんですが、いい感じです。
媛すぎ、媛ひのき・・・をふんだんに使っているそうです。
“ひのき”というとすぐお風呂を浮かべてしまい(笑)、なんとなく和みます。
(安心してください・・服着てます・・笑)
11月からの「HOT情報」がメインですが、「もぎたてテレビ」でも画面インしてくると思います。
どっかから「カントリーロード」(ジョン・デンバー)が流れてきそうな、ふるさとの薫り・・・ありがとうございました。
先週来。過去作品の資料の”おかたづけ”を続けています。
この8年前のラジオドラマは、”漱石と子規の友情は「源範頼(義経の兄です)」が共通キーワードだった”という仮説で創った作品でした。
範頼の墓が伊予市の鎌倉神社にあります。明治の頃、そこには子規も漱石も出かけ、それぞれに句を残しています。
ラジオドラマとして読み返してみると・・・脚本に面白みがない!! (笑)
高校生の恋みたいに、一生懸命書きすぎている気がしました。ラジオマンの愛おしい失敗作です。
但し、エンドタイトル曲に使った「イフ」(ブレッド)は、ラストに二つの句を読んだナレーター・片倉ごんさんの声に実にマッチしていました。曰く・・・
鶺鴒(せきれい)よこの笠叩くことなかれ(子規)
範頼の墓濡るるらん秋の雨(漱石)
・・・・それぞれ、範頼の墓の前で詠んだふたりの俳句です。
ラジオから。
耳から入ってきた音、音楽、思い出は永遠ですね。
※ ※ ※ ※
昨夜からいらしているTBSラジオの社長さんとランチに向かう時、空の蒼があまりに澄んでいることに気がつきました。
10数年に渡って、首都圏で圧倒的に聴取率首位をとっているキー局のトップが視察に来ていただけるって、南海放送ラジオは幸せものですね。
文豪二人に愛された範頼くらい幸せだと、僕は思っています。