20148/20
昭和40年前後。
南海放送のラジオドラマ全盛期には、この田舎町にも多くの書き手が存在しました。
天野祐吉さんが南海放送劇団にいらしたより少し前。
会社の倉庫に残された脚本集の中で、高橋光子さんと小田武雄さんの作品か特に光っていました。
調べてみると、後に高橋さんは芥川賞候補に、小田さんは直木賞候補になったこともある人でした。
誰も見向きもしないラジオドラマを隠れて作り始めた頃。僕にとっては倉庫の中で見つけたこのふたりは憧れ中の、憧れの人でした。
その高橋光子さんの名前を舞台のビラで発見したのです。
11月に四国中央市で行われる、ミュージカル 「風船爆弾を作った日々~しゃぼん玉、宇宙(そら)までとばそ!~」のビラです。
昭和19年。アメリカが原爆をつくろうとしていた頃。
日本では紙の街で「風船爆弾」を作っていたのです。従事していたのは川之江高等女学校の33回生達。
高橋さんはその時の一人で、このミュージカルの上演実行委員会の会長として談話を顔写真と一緒に載せていました。
た、た、た、高橋さんだぁ・・・。しかも脚本はわが社の戒田節子君が担当しているではありませんか? (しかし、彼女は高橋さんのことは知らなかったみたいでした。ま、当たり前?)
そうです。たぶん。世間でただ一人、僕だけが興奮しています(笑)。
伝説の人と繋がった! お元気でいらしたのだ!
伝説の人に逢えるかもしれない・・と。
高橋さんのラジオドラマ台本をまた引っ張り出してきて、朝からロマンの海の中で泳いでいるのです。