平成が始まった頃。僕は「平成オランダおいね考」というラジオドラマを作りました。
最高傑作だ!全国一が取れた!と実感した作品でしたが、今一歩で夢は叶いませんでした。
悔しくて、悔しくて。
道後局舎時代の第3スタジオで戒田節子アナウンサーに、「この台本をどう変えてもいいから、おいねをミュージカルの舞台にしてくれないか?!」と頼みました。
その無茶振りは平成5年に舞台化され、おいねの故郷、宇和町と松山で皆さんに見てもらいました。
これを気に入った当時の宇都宮宇和町長(故人)がおいねの父・シーボルトの故郷ドイツに姉妹都市提携と同時にみかん一座の舞台を連れて行く事を考えました。
今朝の愛媛新聞にドイツ・ビュルツブルクから義援金が来たとの記事がでましたが、その背景はそんなことがあったのです。
井戸を掘った人・宇都宮町長の笑顔。