昨日(月曜日)は午前中に内閣府の規制改革推進会議に呼ばれて、放送の将来について聞かれてきました。
偉い先生達を前に、抑えないといけないのに(笑)ついつい日頃、社内で語っているような熱弁を振るってしまいました。
会が終わったら一人の青年が駆け寄ってきて「田中さん。お話し、感動しました」と。
おーっ?!
息子の同級生で東京で弁護士をしているK君でした。
なぜ?ここにいるの?
「内閣府の規制改革推進会議のワーキンググループのメンバーなんです」
凄いな、若いのに。
君の方が100倍かっこいいよ・・・。
※ ※ ※ ※
午後のロシア大使館での制作記者会見が終わって、監督やら、プロデューサーやら、配給会社の皆さんとキックオフパーティーをやりました。
六本木の家庭的なロシア料理のお店でした。
ロシアのビールは癖がありますが、郷に行っては郷に従え・・・料理のサイズも半端ありませんでしたから、

ロシア語の占い師として先日の僕の夢に中に出てきた、元秘書に半分食べてもらいました。
プロデューサーのS君が厨房にいるメチャ膨よかな女性コックの二人組を見ながら、囁きます。
「ザギトワもいつかあんな感じになるんですかね。この料理食べているんだから・・・」と。
うん、たしかに。
でも幸せそうに見えました(笑)。
美しく居続けるか?!幸せになるのか?!…は全女性の自由な選択です。
晴れ渡った早朝の東京。
火曜日の朝、僕は起き出して今日の仕事の泥縄勉強をしています。学生時代の癖は一生、直りません。
美しくはありません。
だから・・・せめて、幸せだと思わないと。

※ロシア大使館では社員スタッフは桜色のネクタイで揃えました。
JR秋田駅そばのホテルから歩いて、大会が行われる秋田県民館に。
陽の光、風、ともに実に爽やかです。この移動が唯一の観光タイム。
千秋公園のお堀の向こうは高等学校。

お堀の中にある学校・・・愛媛でいえば西条高校みたいです。いいですよね。
関ヶ原の後。この地に異動させられた(笑)佐竹藩はここに「久保田城」を造ったらしいです。
その日もこんな陽気だったんでしょうか。
ご当地の秋田魁新報(あの犬養毅が主筆をつとめていた東北で一番の社歴を誇る)を読みながら、
400年前の秋田に思いを馳せます。

朝一番に映画『ノッティングヒルの恋人』のテーマ曲だった『She』の出来るまでをテレビで観たものだから、
ロマンチックな気分になって空港に来ました。
あの頃(確か映画は1999年)のマスター音源はオープンテープだったんだな、と改めて・・・。
原曲はシャルル・アズナヴールだけど、本国フランスでは全くヒットしなかったんだ、と彼自身が・・・。
エルヴィス・コステロがカバーし、あの映画のバックに使われたことで一つの曲の“人生”が変わりました。
“愛しい人の一番の呼び方・・・それは、She”

飛行機は修学旅行生と一緒。大洲高校の皆さんらしいです。
おっさんはお節介に、「She」のようにいつ人生は変わるのか分からないから、
途中で悩んだり、絶望したりしないようにね、・・・と、後ろ姿に無言で語りかけるのでした。
※「She」エルヴィス・コステロ 1999年
昨日、おっさんは張り切って、興居島への社内サイクリング大会の準備をしたのです。

なんなら。1万円もかけて自転車の補修と部品交換までして・・・。
が。午後から降水確率100%で、島は逃げ場がないからと、急遽中止に。(泣)
で。セカンド・チョイスで映画『孤狼の血』に。

柚月裕子さんの原作はハードカバーで買って読み、それを忘れて文庫本まで買って(笑)読んでる途中で気がついたという、角川文庫に貢献したいきさつがあります。
ま。人生はセカンド・チョイスの方が結果がいいことがあります。
※『孤狼の血』5月12日(土)公開
http://www.korou.jp/
南海放送ラジオが毎年この時期にやっている「おやこ交通安全教室」。
40年前に当時のアナウンス部長さんが始めたイベントでした。
したがって当時新人アナウンサーの僕は、ご一緒に分校を含めて県下ほとんどの小学校を廻って、運動場に旗を立てたりしていました。
なんでアナウンサーがこんなことを・・と思っていたのですが、結果としてそれは役に立ちました。
初対面の方。特に田舎の人は自分の出身を恥ずかしそうに言う癖があります。
「そこって、〇〇小学校のあたりですか?」
「はい、その小学校は母校です。なんでご存じなんですか」
「行った事ありますもん・・・」という具合に会話が始まります。
“人生の経験に一つの無駄などない”
そうよく言われるけど、そうだよなと。
今日は創立145年の松山市立宮前小学校の新入学児童104人を前に、戒田節子アナウンサーの定年退職前の最後の仕事にご一緒しました。

「おばちゃんと一緒に歌を歌いましょう!!」
お姉ちゃんと言わずにおばちゃんと言い出しましたよね、と隣の専務さんと微笑みました。
今。AI スピーカーからは「壊れかけのRadio」が流れています。
ラジオも、思い出も、そうそう壊れはしないものです。
※「壊れかけのRadio」徳永英明 1990年