1976年の秋。僕は大学5年生で就職活動をしていて全国の放送局を廻っていました。
その頃、街は「ペッパー警部」でデビューしたばかりのピンクレディーに席巻されていました。
1977年の夏。南海放送に入った13人の同期生の飲み会は「渚のシンドバッド」の歌と踊りで余興を締めていました。
だから、増田恵子さん。
Kの青春は和彦のK、僕の青春でもあります。
…こんな挨拶にしようかな?
このあとイベントの打ち上げで彼女の前でご挨拶しなければならないので、つらつらそんな事を考えながら、
トークショウを聴いています。
フジさん、レデイ薬局さん、LIONさん。
青春にめぐり合わせてくれて、ありがとうございます。
(フジ・レデイ薬局&ライオン共同企画「フジ・レデイ薬局 レディースセミナー」にて)