『そして、神戸』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

ラジオの深夜放送を担当していた時代に一貫して、高校生に喋っていたことが一つだけあります。

“19歳が最高です。19歳の時に聴いた曲、読んだ本、逢った人・・が人生に一番影響をしますからね” と。

『そして、神戸』(内山田洋とクール・ファイブ)は僕が19歳の時のヒット曲です。

当時は、天地真理や郷ひろみがデビューした後の全盛期で次々とヒット曲をとばしていました。
学園祭にきた天地真理が控室でたばこを吸っていたというニュースがキャンパスを駆け巡り、
「そんなのは嘘だ!」と真理ちゃんファンが怒っていたのを思い出します。

その一方で『喝采』(ちあきなおみ)や吉田拓郎、三善英二などが記憶に残っているのですから
音楽シーンは賑やかでした。

神戸の震災の後。クール・ファイブはこの唄を封印していたそうです。悲しい恋歌だから・・。
でも神戸のみなさんの10万人の署名が集まり紅白歌合戦で歌った年がありました。

音楽の力ですね。

ランチミーティングが終わったら、僕は「そして、神戸」(笑)。
ちょっと神戸出張に行って参ります。

※『そして、神戸』内山田洋とクール・ファイブ(1972年11月リリース)

『薫風に・・・あなたを思う』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

窓を空け放つと、飛び込んでくる5月の風。

薫風。なんと美しい日本語だろうと思います。

僕が学生時代に入り浸っていた雀荘が早稲田商店街のはずれにある小さなお店「薫風荘」。

女主人の薫さんから取った名前。
当時50歳くらいだった薫おばちゃんと僕と同い年の娘さんが二人でやっている店でした。

おばちゃーんと呼ぶと「あんたの親戚じゃないよ。お姐さんと呼びな」と。
二人とも気持ちのいい江戸っ子で、よく叱られたっけな。

連休明けの月曜日。

この休みに考えたことを全部伝えておきたくて、朝一番から10人ばかりを次々呼んであれこれお願いしました。
言われた方は大変だと思います。

そして僕はと言えば

窓から見えるお城より、

そのあとは、おばちゃんとのアレコレを・・

薫さん。あなたのことを・・今、思っています。

『ラストダンスは私と』

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By田中和彦

一ヶ月間に及ぶ新入社員研修の最終日が、僕の担当。

放送局の明日!…みたいな事を聴かされても詰まらないだろうと、
ラジオドラマ「ソローキンの見た桜」を聴いてもらい、ここが明治松山人の誇りなんだよと、ロシア兵墓地を見学。

そして、パスタを食べにイタリアンレストランに。

人事部に提出する研修リポートには「空の上ならともかく、地上でやってやれない事はないんだ」…という金丸信の名言。
それだけ社長に教わりました…と書いといてね(笑)。

そうお願いしての打ち上げランチです。

“いろんな子とダンスをしてもいいけれど、最後は私と踊ってね”
60年代の古き良き時代のドリフターズの名曲「ラストダンスは私に」
今日はトニーデフランコ&デフランコファミリーで賑やかに聴きたい気分です。

※「Save The Last Dance For Me / ラストダンスは私に」The Drifters(1960年)
  1974年にDefranco Family がカヴァー