広報部が「懐かしい写真がでてきました」とこんなのをくれました。

宇都宮民さんが新人アナウンサー時代だから、僕はいくつだったんだろう? まだ前髪あるし(笑)
「真面目そうな顔をしているから固いニュース番組用に君を採用したんだ」と、
当時の部長にいわれたことがありました。
「だのに・・・採用ミスだった」と。
報道とか、ニュースが嫌いで、ラジオの音楽番組ばかりしたがるのでそう言わせてしまったみたいです。
そんな背景があるニュースキャスター時代の宣伝用写真。
個人的には「死ぬほど」ほろ苦い時代です。
だから・・ちっとも幸せそうじゃありませんね(笑)
「日曜日に放送するラジオドラマをチェックしてください」と言われたので、
褒めてほしいの? それとも審査員の耳で聴いてほしい?
「そこは厳しくお願いします・・」
ならば・・・と、気がついた事を書き込みながら「アラヘン」(完成前の粗い編集ものという意味です)を聴いたら、
台本が真っ赤になりました。
スタッフを呼びます。
一番出来ていないことはセリフとセリフの「間」です。
もう01.秒空けないと、耳だけで聞くリスナーが付いてきてくれません。
BGMの使い方の基本ができていません。セリフって音楽に負けるんですよ。選曲もよくないです。
・・・と正直に。
放送日までにどこまでブラッシュアップできるか、楽しみにしています。

家の表札を変えたんですが、白地にシルバーの表記だったので見えずらいことがわかり、
昨日職人さんがやってきて作り直されました。
TANAKAのシールををシルバーと黒字で二つ作ってきて、それをずらして張り付けて「影」のように仕上げたのです。
「右上に、1ミリずらして、もう少し、右!」とかを建築士の女性と二人で話し合いながら・・です。
成る程。凄いですねえ。さすが、プロですね。プラモデルなんか上手に作っていたでしょ。
「はい、はい。好きでしたね」
タミヤのやつとか?
「懐かしいですね。TAMIYA!!!」
そんな軽口をたたきながら、ラジオドラマの「01.秒の間」とつながる話だよな・・・とか、ふと思いました。
今朝のBGMは「マイライフ」(ビリー・ジョエル)です。
※ラジオドラマ&シンポジウム『盲天外’s eye ~日本一になった盲目村長~』
南海放送ラジオ 4月16日(日) 12:00~14:00 放送
※「My Life」Billy Joel (1978年)
大昔に作ったこのラジオドラマをいつかテレビドラマにしたいよね、と仲間たちと妄想しているのですが・・・
「今年もまた、撮り忘れましたね」と役員さん。
ドラマにするなら桜のロケハンをしておいて映像を取りだめしておかないと・・という意味です。
『ソローキンの見た桜』のラストシーン。
主人公が「なぜ、ロシア将校ソローキンは松山に帰ってこなかったのか?」その真実を知って、
それを告げにソローキンのひ孫の女性のつとめる女学校に足早に急ぐ。。
実は、主人公はかすかな恋心を彼女に抱いていたのです。
坂道。
彼の頭上からは桜の花びらが舞い散る。
「もう一度。ソローキンにこの松山の桜を見せてやりたかった・・」
彼は心の中でつぶやきます。
そこでエンディング。

1時間ほど時間が空いたので、堀之内を散歩してきました。
青空と、何かを求めている人に「桜」はとてもよく似合います。
※ラジオドラマ『~松山ロシア人捕虜収容所外伝~ ソローキンの見た桜』
2004年6月放送、第一回日本放送文化大賞・全国最優秀グランプリ受賞作品
トヨタの社長さんはトヨタに乗るだろうし、
グリコの社長さんはプリッツを食べるだろう・・。
だからうちの会社もエレベーターにラジオを流しています。
旧・局舎でラジオセンターの部長をしていた頃。そのお願いをしたら、総務局長さんに大反対されました。
「うるさい!」と。
はぁ!? うちがなんで稼いでいると思っているんですか!?
「テレビだ」と。
なんですって!? と、さんざ喧嘩してラジオのオンエアーが社内で流れ始めました。
今朝。本社のエレベーターで偶然にアーロン・ネヴィルの声を聴きました。
いいねぇ。
たとえば月曜日の雨の朝に、名曲がかかるラジオ局。それが僕の理想です。 ありがとうね。

コンビニにデイリー新聞を買いに行ったら、お隣の新聞社の社長さんとばったり。
今日、休刊日だったのでデイリーを買いに来ました、と。
「田中君、阪神(ファン)だものね」
ちなみに出版業界の友達から「デイリースポーツの社長さんは今もゴーストライターとして本を書いているらしいですよ」と
教えてもらいました。
いいねぇ。いいなぁ。素敵な社長だなぁ。
なんだ。遠慮なんかしない方がいいんだな。
※アーロン・ネヴィル(Aaron Neville) アメリカのR&Bシンガー。1941年1月24日生まれ (76歳)
(写真は今日の堀端・札の辻の桜です)
昨日、日本語学校を卒業したインドネシア人学生のミュージカル『蓮池伝説』を観に出かけました。
開演前の松山市民会館・中ホール。
「田中さん!覚えていますか?」と声をかけてくれた関係者の一人。
なんと?!かつての深夜放送『ポップスヒコヒコタイム』時代の有名リスナー!
“呉のどどんがドンチャン!”ではありませんか。

お前、幾つになったの?
「45です。」
何しているの?…と聴いたら、名刺をくれました。本名は忘れてました(笑)
なに?! 広島経済大学の准教授!!
大学の先生になったのか?!
「はい!」
ハガキ職人として凄い才能あったから、さすがです。
やはり外に出ないとな。
人との出会いは、皆んな外。
寺山修司の名言を再び頭に浮かべました。
“書を捨てよ、町へ出よう”
逢えて良かったよ。どどんがドンチャン!!