東温市のラジオネーム「紫色のシャツ」さんから「ラジオマンの憂鬱」の選曲表を出してほしいというリクエストを頂きました!
・「ハイヤー&ハイヤー」 (ジャッキー・ウィルソン)
・「グッバイ・イエロー・ブリックロード」(エルトン・ジョン)
・「二人の絆」 (シンプリー・レッド)
【あなたの好きなのはどっちでショー】オリジナルVSカバー
・「ビー・マイ・ベイビー」 (ザ・ロネッツ)
・「ビー・マイ・ベイビー」 (カーマイン・アピス)
・「ナウ・アンド・フォーエバー」(キャロル・キング)
・「涙色の微笑」(バリー・マニロウ)
・「終止符」 (アリス)
・「ハート・ブレイカー」(パット・ベネター)
・「東京」 (ふくじゅそう)
・「愛をこえて」(パティ・スマイス・ウィズ・ドン・ヘンリー)
・「ココモ」 (ビーチ・ボーイズ)
・「ダウン・アンダー」(メン・アット・ワーク)
・「アリスは大統領」 (アリス・クーパー)

放送時間:毎週日曜 午前10時~正午
メール:hiko@rnb.co.jp
10年ひと昔・・という書き出しは壷井栄の「二十四の瞳」でした。
こんな写真がありましたとラジオ編成の女性からメールが来ました。
今年亡くなられた加戸守行さんのお誕生食事会。10年前のスナップです。

知事在職中の10年以上にわたってレギュラー番組を持ってもらっていました。
僕はそのプロデューサーであり、ディレクターでした。
謝礼を決して受け取らない方でしたから、ならば誕生日くらいはお祝いをさせてください・・と。
バースデイプレゼントも受け取らない方でしたから、「いかにも」的なのでなく、「そうきたか!?」的なものを毎年考えるのが僕の役目でした。
この年は加戸さんの大好きな「魂」という字を刺繍したオリジナル座布団をお送りしました。
早くお別れ会ができれば・・そしてそれが、
「あなたらしい」会になればいいと思います。
早朝ウォーキングのルートにこんな石碑があったので、調べてみたら江戸時代の松山藩に素晴らしい男がいたことが分かりました。

江戸時代。寛政年間に生まれた岡田十五郎が、農民の窮状を見かねて今の松山西中等教育学校のそばにある「新池」を私財を投げ打って三年かけてつくりあげました。
ところが水源がない・・・。農民から不平不満がでる。(民衆は今の時代もそうですが、わがままです。彼の私財なのに・・・)
悩んだ十五郎は三島神社で1週間の断食をしたら、山越の亀の甲から鷲が飛び立つ夢をみた。
そこだ!!とそこを掘って水源を見つけた・・・という歴史に残る「石碑」でした。今は住宅地の中でひっそりと残っています。
新しいDJ番組「ラジオマンの憂鬱」(毎週日曜日午前10時〜12時)の準備さえなければ、ラジオドラマにしたい題材です。
そしてまた、いつかのように断食道場に篭りたくなりました。なにかの天啓があるかも。ま、暫くは無理だけど・・・
今日のランチミーティングは「くめさんの空」の小倉くめさんと宇都宮民(たみ)さんとご一緒しました。

このラジオ番組、28年の歴史を刻んでいます。
くめさんとは価値観がほとんど同じなので毎回話しが弾みます。
このあとのスケジュール。お二人には番組収録が、僕には民放連のラジオ委員会のWEB会議が待っていたのですが、
楽しくて話が止まずギリギリになりました。
大昔。宇都宮民アナウンサーが退職する時に「くめさんの空」だけはフリーの立場で持たせてくださいと・・・
まさに彼女にとってのライフワーク番組なのです。
南海放送の良心・・・「くめさんの空」。
さらに永く愛され続きますように・・・
「くめさんの空」毎週日曜午前8時15分~8時30分放送(南海放送ラジオ)
東京のFB友達でもあるNさんから
「秋からDJ番組を始めるそうですね。ならばとアメリカンなものを選んでみました。お祝いに贈らせて貰います」と。
で、ブルーのPANAMのTシャツが届きました。(爆)

こんなんどこに売っていた?!
「俺は兼高かおるか?!」と笑いながらツッコミました。
「兼高かおる世界の旅」という長寿の旅番組が昔、TBSであったんです。
その提供社がパンアメリカン航空。通称PANAMでした。
社員の賃金が高騰し過ぎて潰れた世界的に有名な航空会社でしたが、僕らの世代の憧れでもありました。
Nさんは同年輩の元放送マン。こないだまで県内他局の労務担当の役員さんでした。
「オタクはボーナス回答どうするんですか?」とよく聞かれました・・さ行に癖があるほんまもんの江戸っ子です。
50歳以上のみ聞いてほしい新番組「ラジオマンの憂鬱」(10月4日スタート)にピッタリのTシャツです。
デビューの日、着用いたします。
早く東京と自由に行き来したいですね。
ありがとうございました。
※秋のラジオ新番組 ヒコヒコジョッキー「ラジオマンの憂鬱」毎週日曜 午前10時~正午放送(10月4日スタート)