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『あなたがいたから、出来た事』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

当社には特番企画などを考える総合コンテンツ戦略室という組織があります。

その組織が一昨年。「赤シャツの逆襲」というラジオドラマをテレビドラマにしたいと提案してきました。

僕が大昔に芸術祭賞をいただいた作品でしたが、立場的には収支計画優先であれこれ注文をつけましたが、結果はうまくいきました。

去年の今頃。総合コンテンツ戦略室はロシア・日本交流年を背景にラジオドラマ「ソローキンの見た桜」のテレビドラマ化を提案してきました。

柳の下にそうそうドジョウはいないと、アレコレとまた注文をつけましたが、担当者の熱意で結果的にはGOサイン。

担当者はキャスティングと制作の相談に東京の平成プロジェクト・益田社長に面会します。

そこで彼女に一喝されるのです。

「何、それ?!何、考えてるの?!」
「やっぱりダメですか?!」
「こんなスケールの大きい話をテレビドラマの1時間なんて!何、考えてるの?!無理でしょ」
「・・・」
「映画よ、映画。日露合作にして、ロシアでも放映しましょう。」
「えーっ?!!!映画?!ロシア合作?!」

益田祐美子社長が業界で凄腕プロデューサーとして知られているのは、こんなところです。

彼女の読みと決断に“(井の中の)田舎のかわず”はついて行ったのです。

『凛としている女性』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

同級生のお母様の葬儀に参列してまいりました。享年91歳。

生前何度かお会いしているのですが、実に聡明で上品な面持ちのお母様でした。

彼はお父様からジャーナリストの血を受け、このお母様から「品」を受け継いだんだなと思ったものです。

喪主であるお父様の謝辞・・・
(この方は現役時代は敏腕記者であり、新聞社の社長もされました)

「素晴らしく賢い良妻賢母でした。ご近所やお友達など皆さんに愛されました。私は新聞記者しかしませんでしたから、子供二人をキチンと育てたのも家内一人です。

ただこんな事もありました。新聞で暴力団を叩く記事を書いた時に、その頃は個人情報がどうのこうのなかったですから、自宅に彼らから脅しの電話が直接かかってくるんです。

ある時。家内がその電話をとった時。じゃかましい!!と一喝して電話を叩き切ったんです。以来、電話はかかってこなくなりました(場内・・・笑)」

凛としている女性は僕の憧れです。

彼のお母様。カッコよかったんですね。
ジャーナリストの血もお母さんからだったのかも、ともう一度手を合わせました。

黒いネクタイをピンクに締め変えて、東京に急ぎます。
「ソローキンの見た桜」の関係者への完成披露試写会です。

『母の繰り言』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

大きな式典で挨拶したり、司会したりする僕を見るたびに、
亡き母は「あんたがあと10センチ背が高かったらねぇ・・・」と。

「私が牛乳が嫌いじゃったけん、あんたに飲ませなんだんが、いかんかった。
Kちゃんは(僕の弟)あんたで失敗したからちゃんと牛乳飲ませたけん、良かったんよ」・・・と。

失敗作みたいに言われてもなあ(笑)

僕はあなたが毎晩、寝床で読み聞かせをしてくれたお陰で本好きになって、
それで人生をしのいできたから、それだけで感謝しているのに・・・。

(お見せできませんが)下着はリスナー軍団から還暦祝いに頂いた勝負の赤パン。

第52回 南海放送賞の吉日です。

『1992年のララバイ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨日、サッカー元日本代表監督、西野朗さんの講演会に行って来ました。いい時間でした。
(早稲田大学の二年後輩だけど、何故か“さん付け”・・・笑)

1992年に愛媛でキリンカップサッカー「日本 対 ウェールズ」がありました。

松山でこんなビッグゲームがあったのはこの年が最初で最期。

参加チームはアルゼンチン、日本、ウェールズ。

僕はテレビの実況をやったのですが、この時の解説が確か・・・西野さん。当時からハンサムでした。

西野さんとは全国高校サッカー選手権大会も何試合かご一緒しました。

「和彦の実況は面白いから・・・」とサッカー嫌いの父親がおふくろにそう言って、キリンカップは一緒に観たんだと後で聴きました。

この時の日本代表は攻撃的MFがラモス瑠偉。FWは高木琢也のワントップでした。

すでに優勝を決めていたアルゼンチンのカニーヒア(カニージャ)が自分とおなじような金髪の彼女を連れて優勝カップを松山のスタジアムに取りに来ました。

あの時の彼女。今はどうしているんだろう・・・。

なんでそんなツマンナイ事ばかり思い出すんでしょうね。

1992年の、僕のララバイ・・・です。

『新世界・・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨日は、お誘いを頂いて大阪交響楽団の演奏会に行って参りました。


※演奏会チラシの画像

前半の演奏でオーケストラバックにピアノを奏でたのは赤いドレスの林澄子さん。
松山東高校のOG。

昭和の母親たちが娘に一度はピアノを弾かせようとした気持ちが分かりました。
・・・か、か、カッコいい。

(前の席にいらした友近ママに後で聞いたら、やっぱり一度は娘達にピアノをやらせてみたらしいです。)

後半の演奏曲は僕が知っている数少ないクラシック「新世界より」(ドヴォルザーク)。

中学一年の頃。親にねだってステレオを買って貰い、「クラシックを聴くなら…」という母親との約束で一年だけ聴いたLPの中にあった曲です。

その後。荒木一郎、フォーク・クルセイダース、ビー・ジーズ、サイモン&ガーファンクル…とクラシックから離れていき、・・・挙句、ご存知の中年ポップス野郎に。

演奏会の余韻を楽しみたくて、一人二次会にスタバタイムです。

おや?!お店の黒板に愛媛マラソンの応援が・・・。

この店はコースに面しているから営業的に迷惑かけるのに、嬉しいですね。

『ラジオの奇跡PART2』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

ラジオに最初の奇跡をもたらしたのは「ラジコ」という新たな“思考”でした。

そしてそのPART2が、数日前にTBSラジオが発表した「リスナーファインダー」というラジコデータを使った新たな“アイテム”。

今、ラジオを聴いている推定人数や年齢構成などが1分おきに表示されるというものです。

(これ見ながらスタジオで喋るのは刺激的!!・・・笑)

ラジオの奇跡は、いよいよ“思考”から“アイテム”に具現化されてきました。

思い返せば、ラジコの言い出しっぺは今は大学の先生になっているMさん。

そして、TBSラジオの社長もMさん。

ラジオ界変革のキーパーソンはM!かも(笑)。

残念ながら僕はKTです・・・。

『巨匠の最後』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

南海放送の歴史の中で最高の賞を獲ったのは盲目のチェンバリストを主人公にした「父から子への歌声」というテレビドキュメンタリー番組でした。

芸術祭大賞。

創ったのは大先輩のHディレクターで、僕たちは親しみを込めて敢えて軽く「巨匠!」と呼んでました。

ラジオ畑の僕はHさんの声が好きでラジオドラマ「ソローキンの見た桜」ではロシア兵捕虜のトップだったボイスマン大佐役を。

「ラジオ屋伊平騒動記」では大石内蔵助役をお願いした思い出があります。上手かったです。

「巨匠にラジオドラマの出演依頼など申し訳ないんですが・・・」とか言いながら。畑違いの気軽さです。

「田中君はバカにしてそう言っているんだろう」と豪快に笑いながら、ふたつ返事でいつも受けてくれました。

そのHさんが80歳の冬に亡くなってらして(公表されず)それが分かったので、今日ご自宅にお悔やみに行ってきました。

亡くなる一週間前。

自宅の最後の病床でご自身の作品を見直したいと二枚の番組DVDを皆さんでご覧になったそうです。

“制作者魂”とはそういうものなのですね。

いいお話を聞かせて貰いましたと奥様に頭を下げ、Hさん宅を後にしました。

外は雨。

人はいつか必ず死ぬ。

僕なら何を最後に聞きたいだろう・・・。

『僕たちは先達を超えたか?!』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

温度設定をしてボタンを押したら、朝刊を読んでいる間にお風呂が沸く。チャイムがそれを知らせる。

エアコンにはお休みタイマーやおはようタイマーが当たり前に付いている。

沢山の技術者達が汗を流して競争したからこその進化だったんだよな、と思います。

「あのお休みタイマーはお父さんの発明だったんだよ」と家族にも自慢できず、死んでいった無口で武骨な技術者がいたに違いありません。

テレビで70年代のアイドル歌姫だったフランスのダニエル・ビダルを観ました。

来日した時のインタビュワーはなんと糸居五郎さん!!

当時のオールナイトニッポンの月曜パーソナリティ。

ついでに言えば南海放送の1953年10月1日の放送開始は糸居アナウンサーの声から始まりました。

「JOAFこちらはラジオ南海です・・・」

あれから65年。

僕らは先輩達を超えれたのかな?放送にどんなちいさな発明や発想を加えられたかな、と思います。

ダニエル・ビダル「オーシャンゼリゼ」を聴きながら。

※「オーシャンゼリゼ」ダニエル・ビダル 1971年

『朝顔につるべ取られて・・・』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨晩行われたロシアの通信社の女性特派員「奈加 キセーニヤ」さんの講演会。
(苗字は日本人の旦那さんの姓)

モスクワ生まれの彼女。

「私が日本語を初めて知ったのは母の影響です。5歳の時に教えられた日本の俳句が“朝顔につるべ取られて もらい水”でした」

5歳の私が「お水をもらう?・・・それがどうしたの?」と尋ねました。母はいいました。

「小さな花が綺麗だから、それをどうしても摘みとれなかった。日本人の美しい感性なの・・・」と。

お母さんは純然たるロシア人ですが、日本文学が好きだったらしく、キセーニャさんがプレゼントして一番喜ばれたのは万葉集のロシア語訳本だったそうです。

万葉集貰って、喜ぶ母親!カッキー!

日本人の母親に、そんな人が何人いるだろう・・・子供には本を読め!とやたらいう癖に。

『コメダの青い空』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

昨日は、主治医のとこの理学療法士さんに行ったら早い時間なのに、もう午前中札止め。

で。コメダモーニングになりました。

コメダの社長さんとお話しした時。
一番面白かったのは「田中さん。自衛隊の行動基準で『突撃』ってページがあって、そこに書かれているのがいいんです。」

なんて?

「突撃!と言われたら、躊躇なく突撃する事!・・・と」(笑)

なるほど。で、コメダの全国展開はどの辺までいくんですか?

「800店くらいがリミットでしょうね。後は海外です。」

タイとか?

「タイはダメです。街の空気感がゆったりしているから、わざわざゆったりする空間が必要とされません」(笑)

なるほど。

「だから、台湾ですね、次は・・・」

ラジオの次のゆく道をおんなじように考えました。

次はラジコワールドです。

その為の春のスタートを。突撃!!(大丈夫かな・・・みんな動くかな。笑)

コメダの空がすがすがしく青いです。

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