『風に立つライオン』

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By田中和彦

一年に一度。
日本テレビグループにいらっしゃる愛媛県出身者に声をかけて、
当社の東京支社で「県人会」をしているんです。

※写真は、南海放送東京支社(日本テレビタワー20階)より新橋・虎ノ門方面の夕景(2019年6月某日)

卒業した高校を聞けばだいたいどの辺りの生まれか分かります。
Hさんは八幡浜高校出身。

「田中さんにお話があるんです」・・・と。
「数年前のこの会で、青年海外協力隊に行きたくても、その制度のない会社はおかしいから、
うちはそのための休職制度を作りました・・・と田中さんがおっしゃっていたのに刺激を受けて、
秋から僕アフリカに一年半行く事にしたんです」

凄い!偉いじゃないですか!

「田中さんは20代の社員の為のイメージだったんでしょうが、僕45でもう行けるギリギリだよなと思って・・・親もまだ大丈夫だし。嫁さんや子供にも分かってもらったんで」

そんな旦那やお父さんは家族から尊敬されますよ・・・

「2年後に帰って来たら、この会で報告したいから、県人会を続けてくださいね。この会で田中さんの話を聴いて思いたったんですから・・・」

はい。
日本テレビでもやり手として知られているH君。ちょっと責任も感じるけれど・・・(笑)

『5年前のサヨナラ』

In Categoryヒコヒコ日誌
By田中和彦

5年前の今日。
当時、僕のサヨナラ作品ですと創った「風の男 BUZAEMON」の放送日でした。
(2週間後に株主総会が待っていたからです。)

ドラマを書くために世話になった郷土史家さん達と営業さんとかも全部入ったシンポジウムの記念写真。

コーデネーターは木藤たかおさん。愛光学園の先輩。
アナウンサーになろうと思った時、亀渕さんの早稲田大学と一緒に慶応義塾大学を受けたのは、
卒業生名簿で慶応義塾大学からニッポン放送に入っていたアナウンサー第1号の先輩・木藤さんの名前を見つけたからでした。
(ちなみに僕は第3号)

熊本フミちゃんに「私の故郷・鬼北町の話なのに私の出番はないんですか?」(笑)と言われて、
ならば、ドラマの中で武左衛門と絡む少女の役の名前をフミにするわ、と。
おかげで、話のオチを決めずに書いていて、そうだ語りの老婆は少女フミの晩年にすればいい・・・と、書き上げました。
ところが。冒頭の老婆の喋りだしが現代の取材者の質問に答える型になっていた。
武左衛門の相手をした少女なら、200歳を超えていることになる!!ヤバイと。
しばし悩んで・・・そうだ老婆は妖怪にしようと(笑)。
で、最後に妖怪の高笑いを響かせてエンディングに。
これがカッコいいオチになって審査員に受けました。分からないものですね。

僕が一番の笑顔なのは、思い通りに出来上がり、やり切った満足感から・・・。
今の仕事にサヨナラをする時も、かくありたいと願っています。ずーっとやってると身体がもたないし・・・
さ。みんな頑張ろう!!月曜日だぁ