自社の社員を褒めるのは、親バカ・小バカなのですが・・・ちょっと備忘録として。
みかん一座も勿論のこと。アラスカの出張は、実にハードスケジュールだったのです。しかもこの時期、「白夜」状態。日の入りが22時頃だから調子が狂うのです。
それに輪をかけて、現地の皆さんの「アラスカ時間」といわれてる、のんびりした時間管理(笑)。5分、10分を遵守する僕たちが間違っているのかしらんと思いだしたりして・・。「日本人は器がちっちぇのか?」と(笑)。
写真:アラスカにて
ある日。
懇親パーティが21時に終了。この時間、外は真昼の明るさ(笑)。そして翌日の起床は午前4時。一流のホテルなのですが、フロントにモーニング・コールを頼んでも「当てにならないので頼まないほうがいいです」と現地ガイドさん。
とにかく寝なければ・・。
そして朝。
早朝4時。やっとこさ起き出してホテルの玄関に集合したら、日の出がはじまる薄暗い外から、うちの伊東ディレクターが音声さんを引き連れて帰ってきました。
あれ? 確か・・昨夜のパーティは一緒だったのに?
「どうしたの?」
「おはようございます。もしかしたら、夜中にオーロラが撮れるかと・・」
「オーロラは冬だけじゃないの。寝てないの?」
「はい。でも、地元の人が、100回に一回くらいは今でも出る事があるというものですから・・二晩連続チャレンジしたんですけど、ダメでした」
・・・と、疲れよりも、ただ残念さだけがその表情に。
僕は局内では、”制作出身者”だと自認しているのですが、もう「制作現場」には戻れないと思いました。
今更。どのツラ下げて・・ラジオマンでござい! などと・・
彼のような根性を、今は持ち合わせていない。それも飄々と・・「ダメでした」と言える・・感覚。
今年度の「日本記者クラブ特別賞」を彼は受けます。当たり前だよな・・と。
さて。この僕。
制作現場に帰れないとなると、いよいよ、真面目に仕事しないとな、・・と、ため息ひとつ。
現地で買った僕のブルーのノートには「フェアバンクスの溜め息」と一行メモが、汚い字で残されていました。
※フェアバンクス・・アラスカ内陸部の都市。和田重次郎がこの街ができるきっかけをつくったと言われている。
ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」は、
“一日中、犬のようにクタクタに働いたけど 家に変えれば君がいてくれて 僕を慰めてくれる” ・・みたいな歌でした。
僕の場合は、「ハード・ディズ・モーニング」。
朝。 出勤して、パソコンを立ち上げて、ネットラジオに接続した時が、一番癒されます。
マイタイム。或いは、青春時代から続く孤独癖。
ラジオと音楽が羊水。胎児のような安心感に包まれるからです。
・・にしても。
土曜日のサイクリング疲れが一日おいて出てきました。
総勢23名が興居島を走り回る社内サイクリング大会をしました。
はしゃぎながら瀬戸内の潮風を身体に受けました。
本日(4月27日)デビューの新人女子アナ。星加くんと西木くん。可愛い娘たちですので、ご愛顧ください。
あっ。アーネストとは僕のサイクリングネームです。
勿論、ヘミングウェイのファーストネーム。
社長、部長…とかでは呼ばず、遊びだから、こんな名前で呼びあっています。
興居島、恋人峠のキツイ上り坂の・・・余波ですね(笑)。 
坂を登らずに「坂の上の雲」を掴むのは無理なのかしらん・・と怠惰な妄想を抱いて松山城を眺めております。
“南海放送の良心”ともいえるラジオ番組は「ラジオエッセイ くめさんの空」だと思います。(日曜8:10~8:30)
語り部・小倉くめさんが先日69歳のお誕生日を迎えられました。
しょうがいをもたれながらも、逞しく、明るく、生きるくめさんの、僕は一ファンでもあります。

一番、親しくなれたのは「幕末で生きた人達の中で、誰が好き?」という質問に、僕と同じく「中岡慎太郎!」と即座に答えられたことです。
最も知的な選択です。激しく、同意しました。
これからバースディランチにお誘いしています。
その前に、アラスカへの旅の準備に本屋へ・・。滞在、一週間だから7冊でいいだろうか? 強行スケジュールらしいし・・・
今回は、司馬遼太郎、塩野七生、柳広司、浅田次郎・・の各先生にお付き合いをいただきます。
武左衛門一揆のラジオドラマを去年の今頃書いているとき、東京に「吉田会」という組織があることを知らされました。
「マフィア?」か「お付き合いしてはいけない団体?」と聞き返しましたもの、その頃。
18世紀のこの一揆は、紙の専売制に反対して起こったものです。
実は「吉田会」は宇和島市吉田町出身で紙関係の会社を経営している人たちの集まりなのです。一揆の敵側? (笑)
で、明日、東京でこの吉田会の集まりがあり「武左衛門一揆」の講演をするよう要請がありました。・・・なんか、緊張いたします。
これが安っぽい2時間ドラマなら、
講演者の僕が殺されて、犯人はこの「吉田会」の中にいる!?っていう
歴史を背景にしたストーリーで、一丁できそう・・・(笑)
なんでも、吉田伊達藩の末裔もご参加とか!?
なら、殺されるのはこの人で、僕が探偵役・・・というドラマにもなるなとか。
レジメも書かず、雨に煙る松山城を見ながら、こんな妄想の中にいます。

1 FINGER(ワンフィンガー)の一員として「Change The World」でデビューした津野さやかディレクター。
ケツメイシさんが今日は一緒に、わざわざ南海放送を訪ねてきてくれました。

あれですね、娘の嫁ぎ先の方に、お会いする感じ(笑)。
「娘よ」(芦屋雁之助)の気分ですわ…と、ジャンル違いの楽曲をケツメイシさんにいってしまいました(笑)。
煮るなと焼くなと、なんなりお任せします…と。
流石。
音楽だけでなく、ケツメイシさんって、佇まいも素敵でした。