『ロギンス&メッシーナを聴きながら』

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By田中和彦

ラジオからは ♪ ママはダンスを踊らない ♪
・・・とケニー・ロギンスとジム・メッシーナが歌っています。

月曜日から南海放送ラジオは「夏歌まつり」で一週間突ききるらしいです。

Yディレクターのデザインで作られたTシャツ。中々いいです。※写真もYちゃん

Tシャツ

黒もあるんだね、いいじゃないか。
「あれ? 田中さんのところは何色がいっているんですか?」
きてないよ・・。
「えーっ!?」
案外、ラジオ現場に嫌われているのかもなぁ。
「そうかも!」(笑)

おいおい。
そこは社交辞令で「そんな事ないですよぉ。そんな訳ないじゃないですか!?」って言ってくんないとさ・・。
おじさんは拗ねるぜえ(笑)。

曲が「ハイスクールはダンステリア」(シンディ・ローパー)にかわりました。
このTシャツのデザインにぴったりの曲です。

※今週、抽選で50名にこのデザインのTシャツをプレゼント中だとか…。
詳しくはラジオを聴いて応募してください。

Loggins&Messina『YOUR MAMA DON’T DANCE/ママはダンスを踊らない』
Cyndi Lauper『Girls Just Want to Have Fun/ハイスクールはダンステリア』

『ごめん。気づかずにいたんだ・・』

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By田中和彦

伝説のラジオ・クイズ番組『INAZO』のラストイベントの前の日。
Eアナが「こんなん造りました」とステッカーを持って社長室にきてくれました。

ありがとう。頑張ってね。
「では・・」とそれだけ言って部屋を出ていったEアナ。
彼の日常はこんなふうにおそろしくシャイなのです。

僕にとっても思い出深い番組だったから、一番多用しているオレンジのメモノートにすぐに貼り付けました。

INAZOステッカー

ちなみにこのノートは社内会議で、ギャーギャー言う時のネタメモにしています(笑)。

今日。社内報(のようなものが毎週出るのですが、)の巻頭に『INAZOラストイベント』の総括をEアナと藤田晴彦君が書いていました。
それを読んで。初めて、今更のように・・・分かりました。

この影絵のようなレイアウトは、僕とEアナと晴さんとウイットだったのだと・・・

言ってくれよ。手渡ししてくれたとき・・。気づかない僕がダメか!?

ありがとう。
Eアナ、晴さん。ちゃんと”仲間”だと思ってくれていたんだね。

ごめん。ずっと・・・気づかずにいたんだ。

『志を識(し)る人々』

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By田中和彦

3代前の社長さんだったD翁がお電話で
「赤シャツの逆襲、面白かったですな。よく調べてらっしゃいました。
刺激されましてな、昔買った坊っちゃんのモデルについて書かれたノンフィクションの本を引っ張り出してきて、読み直していますよ(笑)」と。

何もお知らせしていたなかったのに、聴いていてくださったみたいで、ありがたいことです。

番組企画書の制作意図のところに
「もう一度、坊っちゃんを読んでみたくなるような番組を目指したい」と書いたから、我が意を得たり!・・って気分になって、
もうこれ以上の賞賛はいらない!とすら思いました。

今日は時間を作ってやのひろみちゃんの創った『夏井いつきの一句一遊15周年記念特番』を聴きます。
彼女から「聴いてご感想をお願いします」と持ってきてくれたのです。

やのひろみCD

番組の品質について「お世辞」や「間違った批判」を言わない人・・っていう信用だけはあるみたいです(笑)

全国レベルを識る、“ラジオの志”を識る人たちとの世界に住めていることがなにより幸せです。

『たかが、ラジオ。されど…』

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By田中和彦

29日(日)13時から放送のラジオドラマ「赤シャツの逆襲2」の
最終編集(業界用語では完パケと言います)にこれから望みます。

制作スタッフ、4銃士。

赤シャツの逆襲スタッフ

ただ、スタート前に大事件が発覚…。
乗松ディレクター曰く。
「台詞の荒編したら、トータル時間が80分になってます」

えーっ?! 嘘っおぅ!?

音楽入れたりCM入れて59分枠だから、30分は削らないと…。30分ったら、それ、ひと番組分やん。
素人みたいに書きすぎたみたい…です。

プロデューサーの小倉部長が
「どっかワンブロック、台本を落としてください。なんとかなりますよね」と。

大昔。自民党の金丸信副総裁の言った名言を思い出しました。
“空の上のことなら兎も角。地上でなんとかならないものは、ない!”

そう、たかがラジオ。
なんとかならない事はない!
あの頃の政局よりは楽だろう…(笑)

の、…はず。だ、け、ど。

『キャロルの幻聴』

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By田中和彦

思えば、1972年に初上京しました。

入ったサークルWAK(早稲田大学アナウンス研究会)での最初の仕事は
一年間の部費を稼ぐ為のコンサートイベントでした。

場所は神田共立講堂。
かつてのフォークの殿堂です。

昨日、40年以上ぶりにその前に立ちました。

神田共立講堂

1972年は当時の担当者の英断で、出始めたばかりのキャロルと契約し、
フォークでなくロックコンサートになりました。
キャロルに火がついたばかりでしたから、チケットは苦もなく完売。

しかし、楽屋や会場が壊され(笑)、会館からきついクレームがきたのも忘れられない思い出です。
ギンギンに尖っていた矢沢永吉はまだ、駆け出しのロッカーで、
今のような大御所になるなんて思いませんでした。

建物の前に立つとあの日のエレキ音や女の子達の嬌声が聴こえてくるようでした。

「拓郎か、六文銭か、グレープにしたら良かった…」と、サークルの幹部たちが反省していましたっけ(笑)。

キャロルの幻聴。そして、神田共立講堂。

まだ、生きているんですね。

ほろ苦く…嬉しかったです。

「神田共立講堂」
1938年(昭和13年)3月落成。
1970年代には日本のフォークシンガーの聖地とされ、ここでは吉田拓郎、
かぐや姫、アリス、ガロといったアーティストがコンサートを開催した