カンボジアで地雷処理を続けて14、5年。高山良二さんとやっとランチする時間ができました。

マスメディアの最初の登場は懐かしのニュースキャスター金原さおりアナの取材だったとか・・
あっ!? そいつは今、結婚してシンガポールにいます・・とフェイスブックの彼女の顔を見せました。
(サオリン、高山さんから友達申請がいくと思いますよ)
「懐かしいですね」と。
高山さんの笑顔はいつも心からの笑顔。
最近の僕はどうだろう。だんだん人相が悪くなっている気がする(笑)
信念が足りんのだろうなぁ、と思います。
「田中さん。成田からプノンペンの直行便ができたのですよ。
3、4日雲隠れして来ませんか? ハンモック用意しておきますから」と高山さん。
秘書ちゃん。僕が突然、失踪したら一番にカンボジアを疑ってください。
※高山良二さん 認定NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長
1947年、愛媛県北宇和郡三間町(現宇和島市)生まれ。
自衛官としてカンボジアのPKO(国連平和維持活動)に参加。退官後、地雷処理を円滑に行うために私財を投じて、自衛隊OBと共にNPOを平成14年に設立し、不発弾処理活動を現地で立ち上げる。
新しいワイドFMの周波数917にちなんだ企画が9月17日に行われました。
曰く「大提言Fnam改善大賞!!」・・の発表と授賞式です。
※結果・・大賞1名、佳作3名で賞金を山分けしてもらいました。
栄えある大賞は本田美紀さんがゲット。
でも331通の提言は全部読ませてもらいました。
で、思ったことは・・
なんてウチは”幸せな放送局”だろう・・ということ。
リスナーの質が、耳が、とにかく優れている。僕とおんなじ感想をもたれている人が多い。
プロの放送をきちんと創っていないと、この素晴らしいリスナー達に見捨てられるぞ・・と。
それは…幸せなことです。
「悪いところも全部好き!!」という20代の盲目の恋ではなくて、大人の恋。
本田さんが提言に書かれていた「静かな決意」を送り手側に求めていたことはそういうことだと思いました。
皆さん、本田さん、ありがとうございました。

※写真 審査員をつとめたラジオの編成・制作の部長、常務さんたち。
古茂田D、江刺アナ、大賞受賞の本田さん。
そして、周波数917から洒落て実験的に登場した謎のゆるキャラ「くのいちナナちゃん」(笑)
第一報のメールが入った時。
うちのトップは「地域と社会への貢献を今後ともよろしく…」と担当者に返信したらしい。
僕は「今夜は、飲め!飲め!」と。←あかんよね、社長がこれでは…(笑)。
(今日、愛媛新聞が載せてくれましたが)
今年度の日本民間放送連盟賞「放送と公共性」部門の全国最優秀賞を
「書道パフォーマンス甲子園」に取り組んでいる当社が受けることになりました。
担当責任者はこないだまでテレビ制作部長をしていて、今は僕の秘書部長をしているM君。
ディレクターの書いた一枚の企画書が自治体と関係者達の熱意でイベント化され、
もうそれが9年も続いています。
四国中央市や全国の書道ガールやテレビスタッフ達の熱い「鼓動」に「感謝」。
次は第10回…。
その「幕開け」に「誇り」をもって臨みます。
※今年の各校の作品から…。

作家・吉永みち子さんに又、高知で再会しました。1年ぶりになります。
日本民間放送教育協会。通称「民教協」大会の前夜祭の二次会です。

前にも書きましたが、第50回日本ダービーを記念した「第1回優駿エッセイ大賞」の最優秀が吉永さん。
僕は次席の優秀賞でした。30歳の頃の事です。
その後、彼女はこのエッセイを書き直し『気がつけば騎手の女房』で、
大宅壮一ノンフィクション賞を受け、あれよあれよの文壇デビュー。
僕はローカルに帰りラジオドラマを書く道を選択しました。
「田中君。あの時二人の結果が逆なら、今はどうなっていたかねぇ」
(笑) (笑)
その時の僕の作品タイトルは『1975年のララバイ』でした。
ララバイ…は、子守唄。
過去の思い出を胸に…今夜は眠ります。
10月16日に南海放送に講演に来てくださる作家・猪瀬直樹さん。
(ほぼ満員のご応募をすでにいただきました。まだの方お急ぎください)
たくさんのインテリジェンシーが詰まった著作は、好きな順序を付けられませんが、
中でも日本テレビの成り立ちの頃、正力松太郎や力道山について書かれた『欲望のメディア』は、
今だに赤線を引いた箇所を何度も読み直しています。
東京に行って猪瀬さんと打ち合わせをしてきた担当のY君。
「一緒に飲むことになるんだったら、田中社長にこれを読んどくように言っときなさい」と、
3冊の本を持ち帰ってきました。
うち2冊は読んでいなくて、今その一冊「さよならを言ってなかった」を・・・。


急性の脳腫瘍で奥さんが亡くなることになる半年前にお二人にお会いしていたから、思い出もひとしおです。
『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)。
ボブ・ディランの『見張り塔からずっと』がお二人の、あるいは作家・猪瀬直樹誕生前の
不安に満ちた頃の思い出の曲だということも初めて知りました。


拝啓。猪瀬直樹様。
人生は、青春は、深いですね。
・・僕はまだまだ浅瀬しか歩いていない気が致します。