窓を空け放つと、飛び込んでくる5月の風。
薫風。なんと美しい日本語だろうと思います。

僕が学生時代に入り浸っていた雀荘が早稲田商店街のはずれにある小さなお店「薫風荘」。
女主人の薫さんから取った名前。
当時50歳くらいだった薫おばちゃんと僕と同い年の娘さんが二人でやっている店でした。
おばちゃーんと呼ぶと「あんたの親戚じゃないよ。お姐さんと呼びな」と。
二人とも気持ちのいい江戸っ子で、よく叱られたっけな。
連休明けの月曜日。
この休みに考えたことを全部伝えておきたくて、朝一番から10人ばかりを次々呼んであれこれお願いしました。
言われた方は大変だと思います。
そして僕はと言えば
窓から見えるお城より、
そのあとは、おばちゃんとのアレコレを・・
薫さん。あなたのことを・・今、思っています。
一ヶ月間に及ぶ新入社員研修の最終日が、僕の担当。
放送局の明日!…みたいな事を聴かされても詰まらないだろうと、
ラジオドラマ「ソローキンの見た桜」を聴いてもらい、ここが明治松山人の誇りなんだよと、ロシア兵墓地を見学。
そして、パスタを食べにイタリアンレストランに。

人事部に提出する研修リポートには「空の上ならともかく、地上でやってやれない事はないんだ」…という金丸信の名言。
それだけ社長に教わりました…と書いといてね(笑)。
そうお願いしての打ち上げランチです。
“いろんな子とダンスをしてもいいけれど、最後は私と踊ってね”
60年代の古き良き時代のドリフターズの名曲「ラストダンスは私に」
今日はトニーデフランコ&デフランコファミリーで賑やかに聴きたい気分です。
※「Save The Last Dance For Me / ラストダンスは私に」The Drifters(1960年)
1974年にDefranco Family がカヴァー
本日をもって南海放送を去ることになったミヤジーこと、宮嶋那帆アナウンサーに朝一番、退職辞令をお渡ししました。

7年間。
7年という事は、旧局舎の道後時代を知らない世代な訳です。
今後は家庭に還り、しばらくママさんとして育児に奮闘するとか・・・。経験されてる女性はご存じの通り、それだけでも大変な仕事です。
彼女のお父さんとはパーティなどでもよくご一緒しました。
彼女が独身時代の印象的な会話は・・
最近、宮嶋君が綺麗になりましたが彼でも出来たんじゃないですか?
「そうですか? 母親にしかそういうこと言わないから、帰ったら聴いてみますわ」
で、案の定。今のハンサムな旦那がそばにいた!(笑)という。
しかも彼はウチの息子と同じ学校の同級生でした。
特に産休明けにいきなり始まったテレビ生放送「Qクエ」は大変だったと思います。
無理を100以上言ってきた気がします(笑)・・
なので。
サヨナラでなく、ありがとうを・・。
ミヤジーありがとう!!
ラジオで振り込め詐欺の年間被害額を聞いて、ちょっとぞっとしました。
どんな組織か知らないけど、ふつうの会社みたいに各月の売り上げ目標とか対前年比とかがあるんでしょうか。

雨の出勤途中。
スマホで、社内メールのチェックをしながら、そんなことを考えました。
すべての人が理想の仕事に就けている訳ではないし、職業に貴賎はないのだけれど、
人として「それをやっちゃあおしまいよ」って事は存在しますよね。
フーテンの寅さんが言った名言。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
…は、身内が身内の悪口を言う…というルール違反を指していました。
たとえばおいちゃんが「おめえみたいな甥っ子を持って恥ずかしいよ、死んでしまいたいよ」とか言うシーン。
するとすかさず、寅さんが言い返す。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」、で旅に出る。
失言をマークされ、取材陣がいる前で又、舌ったらずを言っちゃうどっかの政治家の事ではありません。
DJにとって葉書は一番大事なアイテムでした。
入社して暫くの頃。ハガキが値上がりするタイミングで「ハガキ供養」というのを企画して、
お坊さんを呼び、社内のラジオ関係者を集めました。
報道部にニュース取材をしてくださいと言ったら
「お前らの遊びに付き合えるか?!」と追い返されました。
…ま、そんな時代だったのです(笑)。
僕が今、権威主義や官僚主義を許さないのは、例えばそういうことがあったからです。

昨日。切手を買いにいったら「6月1日から葉書は52円から62円に値上がりします」と…申し訳なさそうに。
郵便局員さんの対応は全公務員のなかで一番素晴らしいです。嫌な思いを一度もしたことがありません。
在庫があるから、ならばと82円と52円のを10枚づつ買い足しました。
僕にとって葉書はロマンチックな歴史と思い出の宝庫です。
“ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない”
…そう、寺山修司は言うけれど。
※寺山修司 詩『さらばハイセイコー』より。