20193/25
通夜の挨拶でこのお話をしていたら、不覚にもこみあげてきて、翌日の本葬儀では省いたのは「母と桜」の思い出でした。
1972年春。大学の入学式。18歳の僕と40歳の母親はキャンパスの桜吹雪の下にいました。
近くの大隈重信像や遠くの大隈講堂を見ながら、受験勉強を終えた感慨に耽っていた時。
母が「ええ、大学やねえ」と一言。田舎の人間だったから東京大学と愛媛大学しか母は知らなかったのです。
そうだろ・・・と相槌して母を見ると、その視線は桜に行っていて、眩しそうに微笑んで桜を追っているのです(笑)。
そこかよ?!
・・・と心の中で突っ込んだことを忘れません。
以来、冗談で「死ぬなら桜の季節がいいよね」と言っていたのに中途半端な夏に亡くなってしまいました。
弟や豚児が同じ大学に決まった時も・・・
「あそこはええ大学じゃもん。良かった」と。宙を追うような目で・・・。
あっ?!その目は桜だ・・・(笑)と、僕だけはわかっていました。
それが、母と桜の思い出です。
ソローキン・・・ならぬ「母の見た桜」
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画像は、SerenDip明屋書店(アエル松山)