『黄金時代』

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By田中和彦

会社の本棚は使い始めて2年くらい。

黄金時代

この中で西沢實さんの「ラジオドラマの黄金時代」は古い本でずーっと捨てれずにいる名著です。

24歳の冬。

当時担当していた「プランタンDJスポット」の年末企画として「午年ぐっばいスペシャル」というのを出しました。

自転車に乗って1時間でプランタン各店をめぐるという生放送です。

ずーっと自転車に乗って喋り続けたい。電波の切れるところがあったらスタジオからレコードをかける・・・みたいな。

基本、全編おしゃべり。

上司の一人が「君は漫談家か!?アナウンサーだろ?」と後ろ向きだったのですが、営業さんが「それはいいねぇ」とまとめてくれた特番。

・・・なんで朝っぱらからこんなことを思い出すのかというと、週末のラジオ特番「和彦・はつみの青春シャッフル」(土・23時30分~午前3時 生放送)で、最初の30分音楽なしでしゃべり続けるってのは無理だろうか!? ・・と考えたからです。

僕的にではなくて、リスナー的にそれは「退屈」だろうか? いや、僕の内容次第か? ・・・とか。

“やってみよう”と思い立つことが、青春。もっと大袈裟に言うとそれが黄金時代ならば、そんなこと出来ないかなぁと妄想しているだけでもいいか? ・・・とか。

※「青春シャッフル」はスタジオ開放です。24TVの募金ついでにでも寄ってください。あなたの青春の一曲のリクエストを受け付けています。現場では随時抽選して、皆さんをマイクの前にお呼び致します。

『お墓参りを・・ありがとう』

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By田中和彦

ラジオ制作の最前線で部長をしていて、燃えに燃えていた10年くらい前。

具体的には旧社屋のラストデーの頃。
その頃の部下ちゃんの一人、橋口裕子(旧姓。僕は今だにこっちで呼んでいます)ちゃんがランチタイムに遊びに来てくれました。

ま、戦友みたいなもんですね。
彼女にとってはお墓参りに僕にお線香を上げに来た感覚かも・・・ちがうかぁ(笑)。

僕が入社した頃に生まれた世代ですから、ま、娘みたいなモンです。

橋口裕子

橋口裕子ちゃんとの一番の思い出。

ちょうどテレビがアナログからデジタルに変わる時。
愛媛の各局はそれぞれデジタル・マドンナを選んで、NHKも一緒になって「デジタル時代到来」のPRをしていました。

彼女はラジオ局にいながら、当社のデジタル・マドンナでした。
(その他にも、あちこちのミスコンに、でろでろと僕は彼女を焚きつけていました)

後年。

東京で行われた彼女の結婚式の時。
新婦側の代表祝辞を言われて「県内のデジタルマドンナのうち、ウチの橋口が一番美人だと思いました・・」
・・を枕詞に話をしようと思って、マイクに立ったら、
なんと目の前のテーブルの出席者が全員、その時の他局のデジタルマドンナ達!! (爆!) (爆! ) ( 爆!)

流石の僕も、一瞬うっ!とフリーズしたことを覚えています。

結婚式の後。二次会はご遠慮して、神宮球場に「ヤクルト対阪神」戦を観に行き、9回裏。球児が登場。
三者連続三振でゲームを締めてくれて、スカットしたことを忘れません。

橋口裕子ちゃんは3歳の娘がいる今も相変わらず綺麗なのに、球児のストレートはあの時と比べて、随分スピードダウンしました。

流れた時代の「愉しさ」と「残酷性」が思い出の中に同居しています。

※えぐさゆうこ(旧姓 橋口裕子)
屋久島古謡や奄美大島の島唄、吐噶喇列島の古謡など南西諸島の島々の歌を歌う歌手として活動

『360秒の永遠』

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By田中和彦

書道パフォーマンスで許された演技時間は6分以内なのです。

一瞬と永遠…その時間をどこで区切るかは、難しい答えです。
恋をしている真っ最中は永遠の鼓動に思えても、後で考えたら青春の一瞬だった…みたいに。

第9回 書道パフォーマンス甲子園大会

長野県松本蟻ケ崎高等学校は地元の真田幸村がテーマでした。
赤と黒の袴姿に赤いハチマキ。モチーフは六文銭。
全員ポニーテールで、凛とした表情が戦国時代を醸し出していました。

彼女らの360秒は間違いなく、一瞬でなく、永遠であったような気がしました。

書道パフォーマンス甲子園

我々、放送・映像のプロが、最も輝いていた被写体、高校に差し上げている「南海放送賞」を受賞されました。

『夜のオコゼ。そして、ワンフィンガーの朝』

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By田中和彦

スポンサーの女専務さんから「田中君。オコゼ食べたくない?」とお誘いを受けました。
仲間6人で朝から釣りに行ったらしいです。

入社して一年目の給料日。
寿司屋に行って「オコゼ」とやらを食べてみたいと注文したら、壁のメニュー表に「おこぜ 時価」と書かれていて、
最後までいくらなのか気になって、おいしいのかどうなのかも分からずじまいだった事を思い出します(笑)
情けない過去・・。

話していたらこの専務さんが井谷正吉の孫娘だったことがわかりました。
南予出身というのは知っていましたが、まさか!? 井谷の血筋とは・・・。

えー!! 日吉村の井谷村長! って、あの四国で初めてメーデーをやった井谷の!! 孫娘!! 凄い、じゃないですか!?

「あら? 流石、田中君。なんでも知っているのね」

(オコゼの時価は知りませんけど・・・笑)

2年前に武左衛門一揆をドラマにした時。井谷正吉・村長親子が大正時代にBUZAEMONの顕彰を始めたことをナレーションに入れました。
資料確認に一揆記念館になんども通いましたし・・

「えー!! そんな事も、あなたしているの!? そのドラマ、今度見せてよ」

(あのぅ・・ラジオドラマですけれど・・・笑)

オコゼとワンフィンガー

一夜開けて今朝。

『風の男 BUZAEMON』の音楽を担当してくれたラジオディレクターの津野くん、
いや今や(芸名)Chaーkaの所属するワンフィンガーの明日発売のアルバムを聴いています。

いつもはクラシックロックで気を鎮めているのに(笑)、ラップから始まる朝は珍しいです。
だけど、津野くんの才能に出会わなかったら、このドラマを創ろうという気にならなかったから、彼女は大恩人です。

全ては人の出会い。それはあらかじめ約束されているのか?、それとも神の演出なのか?

この夏。僕はどんな人に出会い、どんな啓示を受ける事になるのでしょうか。

あっ!? 値段を気にしないで食べるオコゼ(笑)。美味しゅうございました。

※井谷正吉(明治29年~昭和51年、北宇和郡日吉村生まれ)
大正11年5月1日、四国で最初の「メーデー」を日吉村で挙行。戦後、衆議院議員に。

※1FINGER
2013年「三代目ケツメイシオーディション」の中から選ばれた、男性6名と女性2名により結成
8月3日(水)2nd MINI ALBUM『ONE DREAM 2』発売

『シーフードカレーの背徳感』

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By田中和彦

株式会社カネシロさんの社屋が県産材を使って新築されたと聴いて、
営業ちゃんとお祝いと見学に行ってきました。

新築って、気持ちいい!です。

案内してくれた小池社長とはタイ・ミャンマーの視察団でご一緒し、
バスの最後尾席でつばえていた仲間です。

※つばえる …伊予の方言。“はしゃぎ、騒ぐ”という意味です。
ちなみに鳥獣戯画を描いた鳥羽僧が語源らしいので、由緒と歴史ある方言ですから、恥じずにもっと使いましょう(笑)

木材の落ち着きと香りが素敵で、仕事の能率をあげてくれそうな品のある社屋になってました。
小池社長、時間をとっていただいてありがとうございました。

カネシロ新社屋

ランチは堪らなく「カフェブルー」のシーフードカレーが食べたくなったのですが、時間がない!
で。近場のホテルのレストランでシーフードカレーを。(ここは、らっきょうが美味しいんです)

でもなんだか、遠距離恋愛の彼女に逢えないから、近くにいる女の子とデートしてしまったみたいな、軽い…背徳感が(笑)。

カフェブルーさん、ゴメンなさい。

あなたのシーフードカレーを一番愛していますから、どうぞ許してください。