66年前の昭和28年の今日。ラジオ南海が開局しました。
ほとんどのラジオ局は新聞社に報道を任せていましたが、当社は「自前の報道部」をもち、
「ラジオドラマの自社制作」もやろうと83人の社員でスタートを切りました。
(現在のラジオ社の適正人数は約20人です・・・笑)
ローカルのくせに・・・。
ラジオドラマをテレビドラマや映画にしたり、自社ラジコを始めたり・・・
ローカルのくせに・・・。
そんな陰口は僕らにとって勲章です。昭和28年の創立の頃の魂の継続です。
だから僕も、
大口を開けて叫びます・・・社長のくせに、ローカルのくせに。
誕生日!おめでとう!

ロシア・オレンブルグ国際映画祭で「ソローキンの見た桜」に頂いた観客特別賞の受賞報告のためラジオスタジオに。
映画祭の主催者に、何故このトロフィーはライオンなんですか?と聴いたら・・・
「オレンブルグの先住民に伝わる神の使者がライオンだったんです」と。
ロシアにもインディアンがいたんだ?
こんな寒いとこにライオンがいたの?
ちょっと痩せてるのはその為?
・・・などと思いました(笑)。
映像では分かりませんが、結構重量があるんです、これ。

直前まで執務室で仕事していたから、不覚にも老眼鏡のままでスタジオに行ってしまいました。
後の祭りです。ま、映画祭の後ですが・・・(笑)
勝山中学校の生徒がロシア兵墓地の清掃活動をし始めたのは40年くらい前の事です。
京口先生が勝山中学校に教頭として赴任してきた時。「やろう」と声を上げられました。
当時は「共産圏のソ連の為にそんな事をしたら京口さん、アカのレッテルを貼られて、あなた校長になれませんよ。いいんですか?」と言われたそうです。
もちろん。先生は後に校長になられています。
京口先生は90歳を過ぎてご存命ですが、高齢の為外出は出来ず、長くお顔を拝見していません。
ロシア兵墓地にやっとスポットが当たるようになった今。井戸を掘った人の事を僕は決して忘れません。
一人は赤貧の中にありながら、取材を続けロシア兵墓地を活字にして全国に発信した作家・才神時雄さん。
先日、才神さんの娘さんとやっと連絡が取れて、南海放送がやろうとしている事にご理解をいただけました。
(9月28日放送 テレビドラマ「ソローキン女子の憂鬱」・・・才神時雄の青春)
そして、京口先生。・・・あなたです。
「歴史」は個人の強い意志と小さな勇気で作られていくものだと、あなたから教わりました。
ロシアの地で一人あなたを思います。

ロシア・オレンブルグ国際映画祭 授賞式の後 NNNモスクワ支局のクルーにインタビューをしていただきました。
8月27日(火)、映画の審査員と一般観客で満員になり、補助席が出されたオレンブルグのコスモシアター。


ロシア・オレンブルグ国際映画祭にNNNモスクワ支局のスタッフも取材に来てくれました。
そんな皆さんの前で、僕はこんなお話をしました。
「僕はロシア人と日本人は世界で一番仲良くなれる国民同士だと思っています。歴史がそれを証明しているからです。
1904年から2年間、両国が戦争をしていた時。ロシア兵捕虜収容所の第1号が松山に出来ました。
松山には病気や怪我によく効くという道後温泉があります。傷ついた兵士にはそこがいいだろうと日本軍は考えたのです
・・・(中略)・・・
あれから100年以上。今も松山市民がロシア兵墓地を大事に供養しているのは、それが日本人の普通の「真心」だからです。
戦争中に生まれた「友情」や「愛情」がテーマになっていますが、この映画で本当に知ってほしいのは、そんな日本人の真心です。
・・・そう話したら、「アリガトウ」の声が客席から返ってきました。
泣けてきました。
翌日の審査結果や授賞式なんてどうでもよくなってきました。
2004年の春。日露戦争100年の年にラジオドラマを創っておいて良かった。
いろんな風がふいたおかげで、それが映画になって良かった・・・。
そして、コーディネーター兼通訳のナターリァ。
ちゃんと訳してくれたんだな(笑)
スパシーバ。