南海放送 道後樋又の第1スタジオで放送するのも あと数回。
全然実感がなかったが、今日「だめよ」の放送をしていて気が付いた。
この番組を、このワンマンの椅子に座って放送するのは、今日が最後なんだと。
入社して、初めてこのスタジオで放送したのは「思い出のリズム」だったと思う。
5月だったろうか、一人しゃべりの番組なのに、スタジオには お目付け役を含め3〜4人いたと思う。
更に放送部のデスクではきっと先輩方がラジオに聞き耳を立てていたに違いない。
どこか引き出しを探せば、その時のカセットテープが出てくるかもしれない。
きっと笑う。・・・いや、消えてしまいたくなるだろう。
かわいいな、一字一句きちんとQシートを書いていた。時間もぴっちりと。
今は、「だめよ」も「酔ってらっしゃい」もQシートというものは存在しない。勘だな。
ずぶとくなったもんだ。
あの頃はニュースも必死で、とちったか何だったか、読み終わったあと 消え入るような声で
「・・・すみません」と お目付け役の先輩に謝ったのが放送に乗ってしまった。
かわいいな。 いくみちゃんみたいだったんだ、あたし。
と言っても、まだこのスタジオと、この椅子とお別れする訳じゃない。
明日も座るし、週末は酔ってらっしゃいがある。来週もある。
「だめよ」をこの椅子の眺めから放送するのが最後なだけである。
この椅子からの眺めは、まっこと、たいしたことがない。
空が見えるわけでもない。
風も見えない。暑さ寒さは、勘だな。
車の流れがちょこっと見えたり、雨が降ってるかどうかくらいは見える。
放送前にはガラスにへばりついて、建物の隙間から空の色、雲の流れを確認した。
気温を体感するため、月が出ているかどうか、スタジオを出て確かめた。
一人のスタジオでは誰も何もしてくれない。
すべてを与えられると、私はだめなのだ。だからワンマン生放送が多いのか?
何かを、感じ取ろうと鍛えられたのは、このたいしたことのない椅子のおかげか
そう思うと、この殺風景な景色が愛おしい。
ありがとう、椅子。 あと2週間、よろしく。
・・・とか言いながら、経費節減のため、新社屋でも この使い込んだ椅子と つれあうかもね。あは。