『自民党県連の研究』④新人獲得”せめぎ合い”

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『第一部・分裂の深層④~新人獲得”せめぎ合い”』

GW直前の26日、会派「自民」に2人の保守系新人県議が所属する意思を表明し、”数の戦い”にほぼ終止符が打たれました。

◆”新人勧誘合戦”

新田泰史さん(30才・東温市)を巡って、「自民」と「志士」で”せめぎ合い”がありました。

26日の会見で、記者からこんな質問が出ました。

Q.(記者)「新田さんは『志士』の大西さんの後継として、選挙を戦った部分があり、(当選後は)『志士』に入るんじゃないかと憶測も流れていました。どんな判断で『自民』を選ばれたんですか?」

<注>大西渡県議は東温市選出の元県議で、今回の県議選で引退。『志士』に所属していた。

A.(新田さん)「大西県議にご支援いただいた時も、あくまで、自民党所属の県議会議員(になることを前提)として、ご支援いただいたとの認識で活動してきました。いろいろな方にご意見をいただき、自民党県連にまず、所属させていただいて、この流れで、自民党会派で活動させていただく決断をしました」

この”決断”について、志士のある県議は「知名度が低く、選挙が途中から苦しくて(大西さんに)頼ったはず。大西さんに対して、どう償うのか」と話します。

一方、県内のある保守系議員は「自民党本家の”代紋”は、やっぱり強いということ」と、少し品はありませんが、分かりやすい”例え”をしました。

同じ会見の中で、自民党県連の戒能潤之助幹事長(会派「自民」)は依然、3人の保守系新人議員が無所属、あるいは態度を明らかにしていない状況について「会派届を出す期限は5月7日。それまでに加わってもらえると嬉しい」と話しました。

◆今の自民党県連は「乱世」

私が、”決断する勇気”を政治家に必要な資質として重視するのには、自民党県連の大先輩の、ある「忘れられない言葉」があるからです。

写真中央の腕組みをした人物。2001年に自民党県連幹事長を務めた谷本永年さん(大洲市)です。人望が厚く、自民党県連を”乱世から融和へ”と導いた、県連の大恩人です。

自民党県連の平成史上、最大級の激戦であり、見せ場でもあった「伊賀VS加戸」知事選(1999年)を、写真、向かって左側の池田忠幸元幹事長らと共に戦い抜き、保守分裂選挙で勝利しました。

この時も、自民党県連は今と同じ”保守3分裂”状態に陥っていました。(知事選出馬は加戸守行、伊賀貞雪、藤原敏隆県議の3人)

私は、この選挙戦から政治記者のキャリアをスタートさせました。

◆政治の”戦い”に”中立”はあるのか?

「伊賀VS加戸」知事選で、”中立”として、どちらの陣営にも肩入れしなかった政治家がいました。

その政治家が、選挙が終わった後(つまり勝者がはっきりした後)、県連にあいさつにくる日、谷本さんは独り言のように、しかし、周りにはっきり聞こえるように「名札でも付けてこんといかんぞ」とつぶやきました。

意味を詳しくは聞きませんでしたが、私は長い、厳しい選挙戦を取材した実感から「政治家として小学生レベル」という意味に受け止めました。

◆記者は自民党県連しか、政治を学ぶ場はない

いよいよ平成が終わろうとしています。

愛媛県で政治記者を目指すなら、自民党県連を取材するしかありません。

愛媛県の政治は少なくとも平成以降、自民党を中心に動き、自民党と対決し、自民党との”摩擦熱”をエネルギーにしてきたからです。

自民党が他党と異なり、平成で消滅しなかったのは、その”摩擦熱”を、自らの成長のエネルギーに変える能力があったからだと思います。

自民党は内部分裂の”摩擦熱”すら、自らの成長のエネルギーにしました。(何人かは排除されましたが・・・)

その能力は、多くの場合、リーダーの能力でした。

自民党県連のリーダーとは誰か?

幹事長です。

県議会議長の経験者は平成30年間で30人いますが、幹事長経験者は18人しかいません。

「県議会議長に上り詰め、そのうち、3人中2人が能力を認められ、幹事長になれる」(自民党県連の幹事長経験者)のです。

◆次の焦点は?

数が決まれば、いよいよ人事です。

記者プロフィール
この記事を書いた人
三谷隆司

今治市出身(54歳)立教大学卒。1988年南海放送入社後、新居浜支局記者、県政担当記者などを経て、報道部長。現在、執行役員報道局長・解説委員長

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