「ライト兄弟から始まった飛行機の歴史の1つの段階の物証」。太平洋戦争末期、日本の技術の粋を集めて作られた”国産”戦闘機『紫電改』を調査した技術者の言葉だ。
この夏、四国の小さな博物館(『紫電改展示館』愛媛県愛南町)で、国内で唯一、見ることのできる日本海軍、最後で最強の戦闘機といわれる紫電改の、機体の劣化や腐食の現状調査が行われた。展示館の建て替えが2026年度に計画され、機体が移設に耐えられるかどうかを調べるためだ。
紫電改には今の航空機につながる、ある画期的なシステムが搭載されている。『自動空戦フラップ』だ。本来、離着陸などに使うフラップを空戦で自動操作することで旋回性能を高め、戦争末期の練度の低いパイロットの操縦技術を底上げした。「今の航空機の自動操縦のはしりといっていい」(調査スタッフ)。
紫電改は兵器であり、戦争の道具として使われた。そのため、海底から引き揚げられて約半世紀、戦争遺産として”平和の大切さ”を伝える役割が重視されてきた。その役割は大切だ。
ところが会見の場で、ある技術者が口にした言葉にハッとさせられた。「この飛行機に乗ってみたかった」。
とても素直な心情だと感じた。太平洋戦争末期の食うや食わずの生活の中、日本の技術者が苦心惨憺、開発した飛行機で空を飛んでみたい…。人間の「空を飛びたい」という夢を実現した飛行機としての紫電改には、どんな価値と魅力があるのだろうか。人間と飛行機という視点で紫電改を眺めてみたい。
【オピニオン室 三谷隆司】