西日本豪雨3年 みかん山再生物語(後)

オピニオン室

西日本豪雨3年 みかん山再生物語(中)から続く。

 

土砂崩れによって

350本のみかんの木を失った

宇和島市吉田町のみかん農家、中島利昌さんのみかん山に

去年3月、重機が入りました。

2020年3月5日(豪雨から1年8か月)

 

西日本豪雨から1年8か月が経って

ようやく復旧工事がスタートしたのです。

 

園地復旧事業で県や宇和島市が目指すのは

豪雨災害を教訓にした

“災害に強いみかん園地”です。

 

具体的にどのように“災害に強い”のか。

着々と工事が進む去年7月、

宇和島市の担当者に現場を案内してもらいました。

 

工事は崩れた斜面に「かご枠」と呼ばれる

箱型の金網を積み重ねていく作業の真っ最中でした。

 

西日本豪雨の際、みかん山では

短時間に大量の雨が降ったことで、

土砂が多くの水を含み一気に流れ落ちました。

 

「こういった栗石(ぐりいし)を使って排水を良くしてやると。
みかん山の中に溜まった水を速やかに排出することができるようになるわけです」

(宇和島市農林課 川本欣也専門員)

石段が排水と土留めの役割を果たすことで

土砂崩れを防止、さらにかご枠を積み重ねることで

安定性と耐久性が増すとのこと。

 

そしてかご枠の段と段の間に設けられているのが

みかんの木を植えるスペースです。

 

 

「ミカンの木が成木になった時に十分生育できる幅、
あわせて作業道、農家の皆さんが作業しやすい幅ということで
4m以上を確保するのを基本にしています」

(川本専門員)

 

勾配も15度と緩やかになり、

“災害に強い”という側面だけでなく

作業効率の向上も狙いだと言います。

 

 

復旧工事が完了した中島さんのみかん山  2021年3月11日(豪雨から2年8か月)

 

そうして今年3月、

“災害に強い園地”に生まれ変わった

中島さんのみかん山では

50cmにも満たない

小さな小さな温州みかんの苗木を

植え付ける作業が行われました。

 

豪雨直後は「もうみかん山は耕作放棄になるかも…」

と話していた中島さん。

 

みかん産地の再生に向けて

踏み出した大きな大きな一歩。

まさに“希望の苗”です。

 

そして中島家にはもう一つ、

“希望”にあふれた出来事が。

 

愛媛を離れ、静岡県で働いていた

長男、圭吾さんが

みかん農家を継ぐため

実家に戻ってきたのです。

長男・圭吾さん

 

「この崩れた山でみかんを収穫しているところを見て育ってきたもので
漠然としてなんですけど元々継ぐ予定ではあったんですよ、みかん山を。
なんですけどやっぱり実際災害が起こって、ここが崩れたのを見た時に
自分も一緒に支えていかなきゃなと思って、帰ろうかなと思ったんですよね」

(息子・圭吾さん)

子ども時代の圭吾さん

 

苗木が成長し、自信を持って出荷できる

“美味しいみかん”ができるようになるまでには

ここからさらに10年はかかると言います。

 

「本当に何をしていいか分からないような状況から
色んな人が手助けに入ってくれてどうにか道筋をつけてもらえた。
こういう補助事業もそうだけど、
全て人が入ってきて導いていただいた。
美味しいみかんが作れるようにしたいです。
思いは一つですね、美味しいみかんができるみかん山にしたい」

(中島利昌さん)

 

 

中島利昌さん、61歳。

みかん山再生に向けての

長い長い道のりを親子3人で歩みます。

 

 

 

記者プロフィール
この記事を書いた人
松岡宏忠

奈良県大和高田市出身。2005年に入社し
2009年の「NEWS CH.4」番組開始とともに
フィールドキャスターに。
2013年からキャスターを務める。
2021年春からはデスク業務にもあたる。
好きな言葉は「毒蛇は急がない」。

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