みかんの苗木に産地再生の光を見た

オピニオン室

「人間で言うと小さい赤ん坊が
できるような感覚ですかね」

みかんの苗木を手にしみじみ語るのは

みかん農家の中島利昌さん(61歳)です。

東日本大震災から

ちょうど10年となった3月11日、

私は中島さんに会うため

西日本豪雨の被災地である

宇和島市吉田町を訪ねました。

いつもとびっきりの笑顔で迎えてくれる中島さん

この日、西日本豪雨の被災地でも

復興に向けての

大きな一歩が踏み出されました。

 

宇和島市吉田町は

江戸時代にみかん栽培が始まった

愛媛みかん発祥の地。

愛媛県内でも有数のみかん産地です。

 

その吉田町の玉津地区は

西日本豪雨で、

いたるところで土砂崩れが発生し

11人の命が犠牲になりました。

地区のみかん園地も全体の4分の1が

土砂崩れの被害を受けました。

豪雨直後の玉津地区。いたるところで土砂崩れが発生している
(2018年7月13日撮影)

国道沿いの海に面した中島さんのみかん山も

みかんの木ごと海にまで流出。

中島さんは、わが子同然に

手塩にかけて育ててきたみかんの木、

およそ350本を一瞬にして失いました。

中央が中島さんのみかん園地

(2018年7月11日撮影)

豪雨の被害を教訓に、愛媛県が

国の補助事業を使って進めているのが

「災害に強いみかん園地」を目指した

園地の復旧です。

 

中島さんのみかん山でも去年春から

復旧工事が進められてきました。

その工事が豪雨災害から

2年8か月が経った今月、ようやく完了したのです。

生まれ変わった中島さんのみかん山。
「かご枠」と呼ばれる箱型の金網を積み重ねることで土砂崩れを防ぐ。

 

そしてこの日、みかん山で行われたのが…

みかんの苗木を植え付ける作業です。

長さ50cmにも満たない

小さな小さな温州みかんの苗木を

妻の恵津子さんとともに

一本一本、丁寧に植えていく中島さん。

「園地になる。
 土砂崩れがあった山じゃなくて
 みかんの園地になっていく
 本当の第一歩ですよね」

 

この木に果実が生るのは5~6年後、

自信を持って出荷できる“美味しいみかん”を

付けるまでには10年はかかると

中島さんは言います。

 

その先には、まだまだ果てしない道のりが

待ち受けています。

 

それでも、みかん産地の再生に向けて

踏み出した大きな大きな一歩。

まさに希望の苗です。

 

「本当の節目ですよ、
 大きな節目です。
 玉津地区でもそう、
 我が家でもそうですけど
 後の世代が
 みかん作りをするよ、って
 言ってくれるように
 しっかり育てたいですね」

記者プロフィール
この記事を書いた人
松岡宏忠

奈良県大和高田市出身。2005年に入社し
2009年の「NEWS CH.4」番組開始とともに
フィールドキャスターに。
2013年からキャスターを務める。
2021年春からはデスク業務にもあたる。
好きな言葉は「毒蛇は急がない」。

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