米寿の現役カウンセラー

オピニオン室

30年以上カウンセラーとして子どもや家族と向き合ってきた、カウンセリングスペース麦の家(ばくのいえ)代表の長谷川美和子さん。
毎週水曜日の『ニュースな時間』の中で、これまでに出会った事例などについてお話をいただいています。

そんな長谷川さんは、70年以上前、戦後日本に初めて誕生した女子プロ野球の選手でした。
ただプロ野球選手といえども、きちんとした給与もなく、住む場所と食事の提供があるだけのぎりぎりの生活です。そんな中、実家の母親が、自身の着物用のウールのコートをほどいて作った、紫のジャケットを送ってくれました。

「嬉しくて、着るのももったいなくて、宝物でした」

子どもが9人と、決して裕福ではない実家の母親が作ってくれたジャケット。大切にして、自分でもほとんど着なかったのですが、友人に、どうしてもと頼まれ貸したところ、大きなシミがつけられ返ってきたそうです。

「悲しくて悲しくて。何度も洗ったけれど取れなかったんです。そのとき、何か切れたんでしょうね」

ちょうど所属していたチームが解散し、実業団へいくかどうか選択を迫られていました。

「仲間は、一緒に実業団に行こうと言ってくれたけど…。あるとき、辛い思いになるジャケットを質屋にもっていったら、戦後で洋服がなかったんでしょうね、3000円貸してくれてね…」

帰郷の運賃が2880円。それを旅費にして愛媛に帰りました。
母親は、娘の気持ちを慮ってか、一度もジャケットのことを話題にすることもなく亡くなりましたが、長谷川さんはずっと心の中で、シミをつけられたことを許せずにいました。

(カウンセリングスペース麦の家  松山市宮西町)

そんな雑談を麦の家でしていたところ、ひょんなことでその話が新聞記事になり、驚いたそうです。

「ジャケットの話は、亡くなった主人にも娘にも話したことはなかったんですけど、記事になって…」

戸惑う気持ちのなか、その記事を読んだ、以前カウンセラーとしてかかわっていた若者から、
「このジャケットが汚されてなかったら、私と長谷川さんは出会ってなかったんですね」―。

長谷川さんは、その言葉ですべての出来事には意味があったんだと感じたそうです。

「ずっと恨んできたけど、ジャケットがきれいなままだったら、今の私はいない。夫にも子どもにも会っていない。ジャケットを自慢しながらそのまま実業団に行っていましたよ。それにはっと気づかされたんですね。汚してくれたから、いまの私がいるんだと」―。

年月がたって気づくこともいっぱいある、だから出会いは大切なんですよと微笑む長谷川さん。ことし89歳になる現役カウンセラー長谷川美和子さんの言葉は、コロナ禍を生きるわたしたちに、小さなあかりを差し出してくれます。

と見こう見 長谷川さんのカウンセリング事例をまとめた『と見こう見』創風社出版 1760円

今月のテーマは「出会いの中で一歩を踏み出したケース」。
毎週水曜日「ニュースな時間」のなか、午後4時40分ごろからです。

記者プロフィール
この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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