愛媛大学理学部生物学科卒業。
「ばりばりのリケジョだったんですね」と問うと、「もともと女優志望だったんですよ」
・・・ん?
「舞台女優なんですけど、オーディション受けたとき理系だとちょっと目立つかなと思って入学したんですよね。で、入ってみたら研究が面白くて面白くて。精子の研究やってました。精子ネタを就活で話すとウケてウケて。落ちましたけど」-。
と、笑わせてくれるのは、元NHKキャスターの平野和子さん。
長年、NHK松山放送局の顔として愛媛県民に親しまれてきた平野和子さんが、この秋から南海放送ラジオに登場します。(「ニュースな時間」16:30~木曜日担当)
実は春から、ラジオディレクターとして南海放送で戦力になってくれていました。
昨年まで、NHK松山放送局の「四国おひるのクローバー」のキャスターをつとめ、親しみやすい人柄で多くのファンを持っていた平野さん。
“画面で華やかに表現していた人”にラジオの裏方にまわってもらう時、実は私たちラジオスタッフは「平野さん、裏方でフラストレーションたまらないかな…」と躊躇していました。
「いやーめちゃくちゃ楽しいです。何でもやりたいです。CMがある世界なんて初めてでしたしー」と、コロコロ笑いながら話します。
私が感じる平野さんの魅力は、何といっても“なじみ力”。
南海放送に出社して3日目には、すでに長年いたの?と思わせるほど、周囲と冗談を交えながら雑談の輪に入っていました。すーっと肩の力を抜いて、まるで呼吸をするごとく、初めての人とでも会話ができる、並外れた“なじみ力”。ナーバスなあの出演者も、平野さんの手にかかるといつもご機嫌です。周囲を笑顔にするあったかさは、誰もがファンにならずにはいられません。
愛媛県内すべての市町村を回り、その場所から1日じゅう中継をするNHK松山放送局の人気番組「伊予路てくてく」を4年。県内70市町村時代から20市町への変遷も経て、県内全市町村を実に3周、中継でまわったそうです。
中継先では、1日数回の放送があり、限られた時間のなかでネタをみつけリポートをします。そこで培った対応力が、“なじみ力”の源泉なのかもしれません。
(愛媛大学理学部の学生時代)
「大学時代に劇団のオーディションを受けまくっていて、就職についてもあまり考えていなかったんですよね。卒業しても、オーディションを受けながら、アルバイトでセーラームーンの着ぐるみに入ったり、ちびまる子ちゃんのお母さんやったり。四国じゅう回ってました。だから子どものイベントは得意なんですよ」と笑います。
当時、イベントスタッフに声の質がアナウンサー向きだと言われたことで、アナウンサーを目指すように。しかし既卒での局アナ試験チャレンジは、ハードルが高くなります。試験では最終まで残り“精子ネタ”でお偉いさんを笑わせますが、結局、“お祈り”返しの繰り返し。それでもめげない平野さん、チャンレンジはその後5年つづきます。その間、生活資金はリケジョならではの「事業所の水質分析」のアルバイトなどでつなぎます。
ようやく27歳の時。
キャラクターショーで子どもたちと触れあった経験から「世の中にはいろんな仕事があって生き方がある、そんなことを子どもたちにわかりやすい言葉で伝えていきたい」と、NHK松山のキャスター募集の面接で話したところ、見事合格。
平野さんのアナウンサー人生のスタートです。
(キャスター時代は朗読のボランティアも)
リポーター、ニュース、ディレクター、NHKでは20年間、ありとあらゆる経験をしました。
特に、トランクに2週間分の着替えを詰め込んで、県内全市町村を中継で回った経験は、「ニュースを読んでいても、この場所はこうだったとか、あの商店街の誰々さんが困っているだろうな、とか、すべて映像が思い浮かぶんですね。だからニュースがより自分の言葉として読めるようになったと思います」と、現場に寄り添う力になったと語ります。
家庭では“小中学生のお子さん2人のママ”“義父母と同居する愛敬あるヨメ”でもあり、町内では“近所の子供たちをあつめて何かしら楽しいイベントをしてくれる平野のおばちゃん”、ラジオスタッフのあいだでは”いつも笑いが絶えない平野さん”。
(近所の子どもを集めてハロウィンイベントをしかける平野おばちゃん)
(働くママの平野さんは、子どもたちに朝食を食べさせるためにこんな工夫も ※平野家の朝食券に注目!)
平野さんの“なじみ力”が、ニュースと南海放送ラジオを、より身近にしてくれることは間違いないと感じています。
平野和子さんの南海放送デビューは、10月1日(木)16:30~「平野和子のニュースな時間」です。