アニキの背中

オピニオン室

「この状況になって、今までどういうことをしてきたのか、今までの仕事にどれだけ真摯に向き合ってきたのか、問われるときなんじゃないか」-。

松山市のライブハウス「ダブリュースタジオ」を運営する八木隆憲さんはつぶやきます。

南海放送ラジオ「アニラジ」のプレゼンターでもある八木さん、バンドマンたちには「アニキ」と呼ばれ親しまれています(本名を知らない人のほうが多いかも)。

八木さんは、100人~450人が収容できる2か所のスタジオで、年間300本のライブをサポートしていますが、3月から、ライブ開催はゼロ。コロナ禍初期にライブハウスが注目されたこともあり、キャンセル料も受け取らず、あえてゼロにしたといいます。

スタッフはアルバイトも含め8人。今の仕事はチケットの払い戻しやお知らせの制作など。
「クラウドファンディングや、オリジナルグッズを作って販売しませんかという話もあるが、今は断っています。収入がなく切り崩しの中、自分たちの力でどこまで踏ん張れるか」-。

「人と人をつなぐのが好きなんですよね」と語る八木さん、もともとはアマチュアバンドのメンバーでしたが、世話好きな性分から、夢を追う音楽仲間のサポートがメインになっていきます。
駆け出しのバンドの曲をかけてもらうために、地元の雑誌や放送局などと「喧嘩しながら(笑)」体当たりで売り込んでいった熱い行動力が「アニキ」と慕われる所以なのかもしれません。

四国で最初にライブハウスが盛り上がったのが高知。高知に行き来し、東京などからバンドがやってくるとなると、「今度はウチでやらないか」「次はそちらでどうですか」と四国各地のライブハウスにつないでいくようになったそうです。
そんな「つなぐ」を重ねるうちに、全国のミュージシャンから「四国で何かしたいときは、まずアニキさんに」と声がかかるようになっていたと言います。

ライブをしたアーティストのメッセージ

「ライブハウスだからといって、バンドだけではない。心を寄せてくれる人がいればそれでいい」と語る八木さんたちが、力を入れていたのが、YouTubeのライブ配信です。発表の場がなくなったバンドに、ステージを提供し演奏をしてもらいます。無観客で、楽屋を分け、時間差で入ってもらい、毎回の消毒も丁寧に行っての実施。
出演料も払えませんが、ライブハウスにはステージの使用料も配信料も入りません。なんとか思いをつなげた配信でしたが、やはり全国的な自粛の動きで、中断せざるを得なくなりました。

「つなぐ作業なんですよね。バンドも心を寄せてくれている。ライブハウスを助けたいと思ってくれている。この状況になって、今までどういうことをしてきたのかな、今までの仕事にどれだけ真摯に向き合ってきたのか、問われるときなんじゃないか」-。

ステージにライトを照らすことはできなくても、気持ちはつなぐことができるはず。ずっとやり続けるしかない、笑って前に倒れるしかないと語る、アニキ、46歳。

このライブハウスに歓声と夢が戻るのを待っています。

八木さんがバンドマンたちに熱いエールを送る番組「アニラジ」は、毎週金曜22:30からの放送です。
ダブリュースタジオ(松山市千舟町)HP

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この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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