「ソローキンの見た桜」と道徳教育

オピニオン室

 映画「ソローキンの見た桜」の物語のプロローグの舞台となる松山市のロシア兵墓地。

この墓地での地元中学生による35年に及ぶ清掃活動が、この春から始まった、中学校の道徳科の教科書に取り上げられています。

 教育出版の検定教科書で、県内では松山市、新居浜市、県立中等教育学校(3校)、私立中学の数校で使用されます。

 中学1年で使用されますが、教育出版によると、道徳の教科書は①情報モラル、②生命の尊重、③いじめ防止の3つを柱に編纂されているそうです。

 「ロシア兵墓地の清掃活動」は、『郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度』という”徳目”の1つの例として教科書に採用されました。

ちなみに、元南海放送アナウンサーの戒田節子さんが、文章を担当しました。

 ところで、この春からの中学校での『道徳の教科化』をめぐっては、様々な議論があるのも事実です。

道徳の教科書の最後のページには、学ぶべき22の「内容項目」が示されています。

上記の『郷土の伝統と文化の尊重・・・』もその1つですし、その他、『自由と責任』『真理の探究』や、『社会正義』『公共の精神』なども、学ぶべき”徳目”として挙げられています。

議論の1つは、こうした「”徳目”教育に国家が関わるのは危険だ」というものです。

重要な議論だと思います。

  ロシア兵墓地の清掃活動を、こうした視点で、よく考えてみましょう。

清掃活動は、国家に強制されて35年も継続した訳ではありません。

映画『ソローキンの見た桜』は、民間企業(出資者)が、自由な意思で制作した作品です。

執筆者の戒田節子さんも自らの取材に基づいて、”表現の自由”を担保した状態で執筆しました。

つまり、「ロシア兵墓地の清掃活動」は、一人ひとりの自由な意思によって、守られ、育ち、郷土の『道徳』的歴史として、多くの人に認められる存在になったのであって、その逆ではありません。

不自由な『道徳』ではなく、自由な『道徳』の場としての「ロシア兵墓地」を、これからも大切にしたいと思います。

記者プロフィール
この記事を書いた人
三谷隆司

今治市出身(57) 1988年南海放送入社後、新居浜支局、県政担当記者を経て現在、執行役員報道局長・解説委員長。釣りとJAZZ、「資本論」(マルクス)や「21世紀の資本」(ピケティ)など資本主義研究が趣味。

三谷隆司をフォローする
オピニオン室