ジ・アースの思い出

オピニオン室

まちづくりに熱い思いを語り合う人たち、その傍らで、グラスを片手におだやかに微笑みながら耳を傾けている忽那さん、そんな場面が思い出されます。

平成元年に創刊された雑誌地域文化誌「ジ・アース」。
覚えている方も多いのではないでしょうか。
愛媛の地域文化に焦点をあてて地域の活性化に力を与えた雑誌は、編集長の忽那修徳さんが創刊し、忽那さんが平成7年突然お亡くなりになったことで40号で終刊しました。

そのジアース創刊30周年記念として、忽那さんをしのぶフォーラムが、先日、県美術館講堂で開かれました。
タイトルは、「ジ・アースが目指したもの、君は忽那修徳を知っているか」です。
ジ・アースと同時代を生きた人、終刊後に知った人、100人以上が集まりました。

実行委員会代表をつとめるミュゼ里山房の矢野徹志さんが
「忽那氏は、境界領域(=ジ・アース)、常に変化しているものを見つめていた。発生していくものと消滅していくものを複眼的に取り上げていた。地理的な中心から離れていても、エネルギッシュな新しい動きが起きているところが全ての中心になる、と」語りました。

当時はバブル真っ盛り。有名なもの高価なものすべての中心は東京、そんな時代に、愛媛という片田舎にちりばめられていた原石たちを丁寧に掘り起こしていました。

故犬伏武彦さんが連載していた「民家は語る」で紹介された、旧野村町惣川の土居家。岡崎直司さんの取材シリーズ「石垣のある風景」に登場した、三崎町井野浦の青石の石垣。モノトーンの写真に添えられた文から、たまらなく旅情を掻き立てられ、取材にかこつけて訪れたものです。

フォーラムでは執筆した人たちが、忽那さんと共にした時間を振り返りました。

「夫と妻の文化人類学」を執筆していた、コムズ元館長の吉村典子さん。
地域のお産などをテーマにした民俗学の研究者で、執筆当時は短大の助教授をつとめていました。

「当時、妻であり母であり仕事をすることとで強い試練を受けていた。やっと果たした再就職の場でも、女性差別の恫喝に近いようなパワハラをうけ、やめて逃げることはしないと呪文を唱え続けた毎日。そんなとき出会った忽那さんは、とても穏やかで優れた平等観をお持ちだった。ジ・アースにかかわらせてもらった心地よさが、私の生き方を伴走してくれている」―。

男女平等なんて程遠い時代に、道を切り開いてきた、ワーキングマザーの先駆者としての吉村さんのことばはとても重く感じました。

第2部は、出版関係やさまざまな立場の人の座談会。

忽那さんとは直接会ったことはなく、雑誌からその存在を知ったという、伊方町の「町見郷土館」の学芸員、高嶋賢二さん。高嶋さんは、「佐田岬みつけ隊」というサポーターたちの協力も得て、半島の歴史、文化や民俗を調査しています。
はやくから佐田岬半島にスポットをあて、ジ・アース上で魅力を伝えていた忽那さんには励まされるものがあるとしたうえで、「スマホもなかった時代、一人一人に面と向かって異なるコミュニケーションをしていた忽那さんには、まだ私たちは追いつけてない」と語りました。

素通りしていた風景が、魅力あふれる場所であったことを、モノクロ写真と文章で清冽に教えてくれたジ・アース。
インスタなどのSNSで五月雨式に情報が降ってくる今、もしジ・アースがあったとしたら、どんな景色を切り取っていたのか、きっと参加者それぞれが、思いを馳せていたのではないでしょうか。

(参加者には創刊号と終刊号が贈られました)

2月4日(火)からは、カメラマンだった忽那さんが撮影した写真や、ジ・アースに掲載された芸術家たちの作品を展示する「忽那修徳を囲むジ・アースな人々展」が、NHK松山放送局アートギャラリーで開かれます。
当時は新進気鋭として紹介されていた作家のみなさんも、今では大御所です。楽しみです。

記者プロフィール
この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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