私のデスクの正面に、伊東英朗ディレクターの編集スペースがあります。
伊東さんは「X年後」シリーズや日露ドキュメンタリー番組を手掛けている、全国でも有名なディレクターです。いま伊東さんが最後の追い込みに入っているのが、4月7日深夜放送の、「秘めだるま」編集長、小倉くめさんのドキュメンタリーです。
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NNNドキュメント’19 『一四一冊目の春』 4月7日(日)25:00~放送
障害をもって生まれ、子どもの頃、厳しいいじめにあい、死ぬことばかりを考えていたくめさん。それでもなんとかできる仕事を見つけていましたが、36歳の時、障害のため仕事が続けられなくなり、無職無年金の状態になってしまいます。
生きる道は、両親に面倒を見てもらうことだけ。「障害者には生きる価値があるのだろうか」と考えたそうです。
その年、知り合いの女性が、障害の子どもと親子心中します。囁かれたのは、「かわいそうだが、どうせ、生きとっても仕方がなかった」という言葉でした。
その言葉を聞いて、「これでは障害をもっている人は生きる価値がないことになってしまう」と、社会へ声を届けるため季刊誌を発行することにします。
以来、35年間、一度も休むことなく季刊誌を出し続けています―。
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伊東ディレクターによると、「秘めだるま」は、書店におかず、定期購読とくめさんの手売りだけなので、収支も厳しくなっているとのこと。
出版社では、1回の出版ごとに5~6万の赤字が出ていて、それをどうやりくりするかが課題で、くめさんに新しい広告主を募るように提案もしますが、くめさんは断ったそうです。しかしくめさんとしては、これ以上出版社に犠牲をお願いしたくはない。無年金のくめさんの月の収入は、6万円。ぎりぎりの生活の中、赤字の補てんをするとしても、限られている。購読料を値上げするのも、1回に総額で2万が限度、あと4万をどうするか…ありとあらゆることを考えていたそうです。
伊東さんが、「クラウドファンディングなんかで、みなさんに協力を呼びかける手もあるんじゃないですか」と尋ねたそうです。
くめさんはきっぱりと否定。
障害者だからといって、人に迷惑をかけたくない。人に頼らず、自分が我慢しても自分の足で立つ。その方が自分の気持ちが楽だし、自分らしい―
声をあげたら助けてくれる人はいっぱいいるはずなのに、くめさんはこだわりが強いんですよね、と伊東ディレクターがつぶやきました。
くめさんを追い続けた16年。どんなにほかの仕事が立て込んでいても寝てなくても外が大荒れでも、カメラを手に、久万高原町までひとりで取材に出かける伊東ディレクター。
少し休んだらどうですか…と疲れ気味の伊東さんに声をかけても、
「ぼくはどうしようもないオタクなんです…」と笑いながら、取材に向かう粘り強さは、同郷のくめさんに通じるものがあると感じました。
『一四一冊目の春』
4月7日(日)25時 「NNNドキュメント’19」で放送します。
小倉くめさんは南海放送ラジオでも「くめさんの空」(日8:15~)のプレゼンターを25年間つとめています。とてもすてきな時間です。(聞き手は宇都宮民さん)