「学びたい」をかなえるために

オピニオン室

「“治ってから学校においで…”きっと善意で言っている言葉でしょうが、病気になった子どもたちにとって、突き放された気持ちになる言葉なんです」-。

「がんの子どもを守る会」愛媛支部主催の公開シンポジウム(12月8日開催)で、久保田一男さん鈴美さんご夫妻が発したことばです。
大阪在住の久保田さんの息子、鈴之介さんは中学2年で小児がんを発症し、高校3年で亡くなりました。

以前は治ることが第一目標だった小児がん、いまは8割の子どもが治るようになってきたといわれます。しかし長期にわたる治療期間中や、治った後に浮かび上がるのが、学習の問題です。
小中学生は、院内学級がある病院もありますが、そこに通うためには、元いた学校から転籍しなければなりません。二重学籍は認めないという学校教育法の原則があるからです。
がん治療の場合、入院しての治療がずっと続くというわけでなく、ワンクールの治療が終わったら、いったん退院ということがあります。転籍しているので、元いた学校に戻りたいと思っても「籍」がありません。かといって、すでに退院しているので、院内学級には行けないなど、さまざまな問題が生じてきます。

高校生になると、学ぶ環境はさらに厳しくなります。
義務教育ではないので院内学級はごく少なく、高校は単位制なので、休むと単位が取れず進級させてもらえません。
クラスメートからも離れ、勉強をしたくても術がなく、学校からは留年するかといわれ、退学を選ぶ高校生が多いといいます。

「日常生活を送っていて、突然病気になって、それだけでも辛いのに、“治ってから学校に来い”と言われると、自分は高校生でもなくなるという、突き放された気持ちになる」と、講演の中で久保田さん夫妻は指摘します。

中学2年で発症した鈴之介さんは、入院中は院内学級で中学の授業を受けました。退院して、高校2年で再発。入院するも、高校生対象の院内学級はなく、学習への不安を募らせながら、当時の大阪市長だった橋下徹氏にメールを送りました。

「病気の不安と進級の不安、勉強の不安、多くの不安を抱えながら生きていかなければならないなか、一つでも緩和できるものがあれば…」と。

鈴之介さんの訴えに、すぐさま橋下市長から返信がありました。

「僕ら政治家は大きな話をしたがるけど久保田君一人を救えないなら政治なんか要りません」―。

このメールをきっかけに、病院に講師を派遣する制度が大阪で始まりました。

鈴之介さんは、この制度を利用して大学受験のための勉強をつづけました。同時に、同じように不安を抱える高校生たちのために活動をつづけました。
将来を思い描きながら、高校卒業前、18歳で亡くなりました。

しかし鈴之介さんの思いは各地に広がりました。

現在は鈴之介さんの遺志を継ぎ支援の会を立ち上げた、久保田さんが独自に調べた、全国の制度の広がりです。

ICT技術の進展でどんなことも可能にしつつある今でさえ、長期入院の高校生に対する教育支援制度が未整備の地域が多くあります。
「全教科の先生をそろえないといけない、とか、人繰りとか制度とか、完璧に備えてからではないとスタートできないとする自治体が多いのではないか」―と久保田さんは指摘します。

学びたいのは、今。子どもたちにとっての「今」は、「今」しかありません。
完璧な制度でスタートでなくても、できるところからはじめて、走りながら制度を整えていけばいいのではないか、と感じます。

地図では白いままの愛媛ですが、このシンポジウムを共催した松山市のNPO法人ラ・ファミリエでは、独自に、病気療養児の学習支援ボランティアを行っています。その報告もありました。

学びたいと願う子どもたちに、安心して学ぶ場を与えるために、大人がしなければならないことは何か。
子どもたちは、みんなとつながりながら、いま、学びたいのです。

記者プロフィール
この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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