松大ですが。

オピニオン室

先日、松山大学の同窓会組織「温山会」東京支部の総会に出席してきました。
温山会(松山経専、松山商大、松山大学卒業生組織)の会員は76,000人。全国とアメリカ・中国あわせて42の支部があります。
この日、東京支部では100人ほどの会員が集まりました。

地元志向が強く、穏やかに過ごしたい人がほとんどだった私の母校。ゆるゆると学生時代を過ごし、地元民ならみんな知っている大学名ブランドの力もあり、何の迷いもなくそのまま地元に就職しました。
翻って都会から見れば、松山大学は、数多にある地方大学の一つに過ぎません。かつて「東の小樽商大、西の松山商大」とも言われ、地方の名門商科大学と呼ばれた時代もあったとききますが、いまは当然、大学名ブランドは、「その他大勢」状態でしょう。

「まわりはK大、W大といった有名大学出身者ばかりよ。そんななかで、絶対負けん!という意地があっただけよ」と豪快に笑いあう先輩方。60代以上には、総合商社やメーカーなど一部上場会社の役員まで上り詰めたかたも多くいます。
 ローソンジャパンの社長を経て、現在は農業を応援する雑誌を発行する都築冨二男さん(1964年卒)

ある超大手企業に就職し、はやばやと管理職になった40代の会員に、田舎大卒で損したことはありますかと不躾にたずねると、「有名大卒という肩書がないということは、逆に失うものも背負うものもないから、なんでもできるんですよ。変なプライドがないから」と、さらりと答えていました。

「大学名とかではなく、自分が学びたいものがあるから、この大学にきたんです」とは、霞が関のキャリア官僚になったある若手会員。

松山大学温山会館

卒業生には、第一希望の大学に受からなかったから、とか、家庭の経済的な事情から地元で、など、消極的理由でこの大学に進学したという人も少なからずいます。
でも、有名大卒という下駄を履いていない分、素足で闘いぬき、等身大でしっかり立っているという自信を、東京支部の会員から感じました。

居心地のいい愛媛を飛び出して、傷ついて、心が折れそうになったとしても、全力で助けてやるからな、東京に出てこい松大生、とエールを送っているようでした。

松山大学女子駅伝部 大西監督

総会では、女子駅伝部の大西監督の講演もありました。
多くの人が、本音ともいえる感謝の言葉を口にしていたのが印象的でした。
「こちらでは、松山大学?知らない、どこそれ?と言われることが多い中、女子駅伝部の活躍によって、松山大学の名前を知る人が1人でも増えていくのが本当にうれしい。なによりも励みになる」-。


松山大学女子駅伝部を応援するマガジンは、松山大学職員有志やサポーターが作っているそうです。


職員有志が自らカメラを持ち取材した内容は、見ごたえあります。

駅伝部の後援会に入ればいただけるそうです。

記者プロフィール
この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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