ユニバーサルな柔道

オピニオン室
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「勝つことを、いったん、やめる」

金曜夜の、四国中央市の市立中学校の体育館。歓声を上げながらボールを追いかける子どもたち、隣のスペースでは、柔道の技をまなぼうとする子供たち、どちらも真剣で、楽しそうです。

子どもの発達障害に注目し、障害があるなしを問わず、みんなで柔道を楽しむことを目的とした「ユニバーサル柔道アカデミー」です。
主宰しているのは、愛媛県柔道協会の理事でもあり、松山大学時代は中四国学生体重別2連覇などの経歴を持つ、長野敏秀さん。

〈長野敏秀さん〉

〈松山大学4回生時、中四国大会で個人、団体優勝〉

〈視察で訪れた岩手国体、この年は女子が準優勝。えひめ国体では柔道女子初優勝 選手、山口奈美愛媛県柔道協会前理事長と〉

育ててもらった柔道で地域に恩返ししたいと、強い選手の育成に力を注ぎ、県柔道協会の強化育成委員として実績も残してきました。
一方で、柔道を続けられず、道場を去る子どもたちの姿を幾度も見てきました。
特に発達に障害を持つ子どもたちにとっては、従来型の指導は、とても窮屈だったのかもしれません。

発達障害は「わかりにくい」障害です。空気の読めない発言や突飛な行動、じっとしていられない特性もあり、まわりの理解も得にくい障害です。
子どももしんどい、親も苦しい。

「それまで“勝つ”ことをメインに指導してきましたが、見失っているものもたくさんあるのではないかと思うことがありました」―。

長野さんは、一番欲しい価値観、“勝つ”を、いったん置いてみることにしました。

「強い選手を育てる人はほかにもいる。自分は“見失っている部分”で何かできるのではないか」―。

3年前に設立したユニバーサル柔道アカデミーのHPは、
『誰もが柔道に親しめる環境「柔道のユニバーサルデザイン化」を目指す…』という言葉ではじまります。
障害のある、なしにかかわらず、みんなが一緒に柔道を楽しめる場所を作りたい。
長野さんの思いに様々な人が共感し、サポートしたいと集まってきました。
幼児教育の専門家、フットセラピスト、読み聞かせボランティア、作業療法士…。
柔道教室なのに、柔道だけではない、ユニバーサルなコミュニケーションの場となりました。

稽古の前に、この日のプログラムが掲示されます。

まずは、鬼ごっこ。

あちこちに興味が飛び、じっとしていることが苦手な子どもに、強制的にスポーツをさせたりトレーニングをさせることは難しい。そこで、楽しく体を動かすことから始めます。
ここから幼児を担当するのは、地元で保育園を運営する松村英典さん。

鬼ごっこのような玉入れでは、逃げる松村さんのカゴに、子どもたちがボールを入れます。
興味なさそうの子どもの前では、わざところんでボールを落とし、子どもがボールを入れたくなるように仕向けます。
遊んでいるように見えて、しっかりと体幹づくりに役立つ動きです。

長野さんは、柔道の基本動作の指導。

言葉だけでは理解しづらい子どもでもわかるように、手足をおく場所や順序を、シールなどを使って表現します。

つづいて、年の近い子ども同士で、動作を教えるという体験です。

「人に教えるということは、まず自分が覚えないといけないし、教えることは、うまくいくと楽しい。自分たちで考えたり工夫したり、そういうことができる人を育てていくことも大事にしています。」

アカデミーでは、「遊びを入れた運動」と「柔道の基本動作」、そのときにやりたいものを選ばせることもあります。
勝つことを急がず、それぞれの能力やペースにあわせてサポートすることを基本にしています。

体を動かした後は、フットセラピスト岩村由香里さんによるマッサージタイム。
親子や友人どうしで触れ合う、コミュニケーションの時間でもあります。

柔道とは関係のない専門分野を持つスタッフが、自分の特技をここで生かし、その経験を持ち帰って自分の専門分野に生かしていく。指導者にとっても、指導力を上げさせてもらえるありがたい時間、だといいます。

ある母さんは、「これまでは叱られることが多く子どもが通いたがらなくなった教室もあったけれど、ここでは、やりたいという気持ちになるまで待ってくれる。子どもが通いたい、学びたいという気持ちになっている」と語りました。
そして、療育で迷ったり困ったとき、ここには相談できる専門家がいるし、保護者同士で語り合うこともできる、大切な居場所になっていると言います。

アカデミーの取り組みを知り、市外、県外から毎週金曜日の夜に通う親子もいます。
長野さんの思いに共感し、島根県に支部を設立した指導者もいて、その活動は全国に広がりつつあります。

この日も、「きょうは見るだけ」の子どももいるし、先生を追いかけ「投げられたフリ」をするよう何度も求める子どももいる、走り回る子どもを追いかけるお父さんに、「前回より長い時間、正座ができた」と、成長を喜ぶお母さんもいました。
ありのまま、すべてを受け入れてもらっている、という安心感でしょうか。みんなとても楽しそうです。


来年、オリンピック、パラリンピックが開催されます。
「勝つ」を目指すことはもちろんすばらしい。そして、「勝つ」ことをいったん止めても、素敵な世界が待っていることに気づかせてもらえた教室でした。

ユニバーサル柔道アカデミー(四国中央市)

きょう(10月2日)放送の「ニュースな時間」で、長野さんの取り組みを紹介します。※18時25分頃~

記者プロフィール
この記事を書いた人
永野彰子

入社32年目、下り坂をゆっくり楽しんで歩いています。
ラジオ「ニュースな時間」で出会った人たちの、こころに残ることばを中心にお伝えできればと思います。

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