野村ダムは教訓を”台風10号直撃”に活かしたか

オピニオン室

大型の台風10号はお盆の愛媛県を直撃し、交通機関を中心に大きな混乱をもたらしましたが、西日本豪雨の被災地、西予市では野村ダムの放流に大きな注意と関心が集まりました。

こうした中、野村ダムは、台風が県内を襲う3日前から事前放流で水位を下げ続け、台風がまさに愛媛県を通過していた15日午前には、逆に、水位を上昇させる操作を行いました。

結果、90%あった貯水率を65%まで下げて台風を”迎え撃ち”、台風が過ぎ去った後は、ほぼ同水準の貯水率(17日正午現在、94%)まで回復させています。その間の放流量は最大で毎秒278トンと、町内の肱川の堤防を越える恐れのない水量を保ちました。

もちろん、自然の降雨量に左右される部分はありますが(台風10号が野村ダム上流域にもたらした雨量は、約200ミリだった)、こうした対応が可能になった背景には何があるのでしょうか。

◆台風の3日前から新ルールのもと水位を下げる

夕方ニュースで「15日ごろ上陸の恐れ」と報じられた12日午後7時から野村ダムは洪水警戒体制に入り、対応を始めました。

西日本豪雨後に変更された新しいルールに則って、ダムの空き容量を確保するため、水位162.7メートル(標高)を目標に事前放流を始めたのです。

西日本豪雨までは事前放流にはその都度、利水者との協議が必要でしたが、「協議が必要ない分、時間短縮という点で機動性が高まったのではないか」(野村ダム)としています。

その時点での雨量はもちろん、ゼロ。貯水率は90.4%でした。

◆目標水位(空き容量)を確保後、さらに水位を下げる

目標まで水位を低下させたのは、台風が直撃する前日の14日午後0時30分、貯水率は75.4%まで減少していました。

しかし、「気象庁の降雨予測などでは、四国の多い所で1000ミリという数字も出ていた。こうした予測から、さらに空き容量が必要と判断した」(野村ダム)

事前放流は”利水者の水”を放流するため、原則、回復させることを前提に実施します。

この時点で、すでに250万トンの”利水者の水”を放流していましたが、今度は南予水道企業団などの了解を得て、さらに100万トン、水位に置き換えると161.2メートルまで下げることを目標に事前放流を継続します。

◆台風通過中に”まさか”の操作転換

まさに台風10号が県内を通過しつつあった15日午前11時10分、貯水率65.0%を”底”に、今度は逆に、利水容量を確保する(貯水率を増加させる)操作に転じました。

このタイミングについて、「事前放流では水位を下げる局面から、逆に上げるポイントの判断が最も難しい」と話します。

判断材料となったのは、台風10号が通過前より通過後の方が降雨量が多いという台風の”個性”の把握と、その雨量の見通しなどでした。

◆西日本豪雨の教訓『情報公開と監視、さらに評価』

結果的に、野村ダムは堤防越水の恐れのない水準の放流を常時、保ち、かつ、貯水率(利水容量)も台風来襲前の水準に回復させました。

私は台風が愛媛県を直撃する前日の14日と当日の15日、野村町で現地取材しましたが、取材中、最も驚いたのは、台風通過中にダムの水位を上昇(貯水率を増加)させる操作に転換したことです。

「えっ、ここまで下げ続けて、今、上げるの?」というのが実感でした。

この事実を把握できたのは、野村ダムのHPにダムへの流入量と放流量がほぼリアルタイムで公開されているからです。情報発信の内容も西日本豪雨後、充実させる方向で改善されています。

情報公開は、市民の監視の目となり、組織に緊張感を持たせることはもちろん、市民自身の避難情報として役立ちます。

◆取材を終えて・・・

西日本豪雨被害を教訓にした様々な改善は、市民の安全を確保するためにあります。ダムはダム、市民は市民の立場で改善点を上手に利用し、結果を互いにフィードバックし合うことが、これからの台風の季節に有効だと感じました。

記者プロフィール
この記事を書いた人
三谷隆司

今治市出身(57) 1988年南海放送入社後、新居浜支局、県政担当記者を経て現在、執行役員報道局長・解説委員長。釣りとJAZZ、「資本論」(マルクス)や「21世紀の資本」(ピケティ)など資本主義研究が趣味。

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