今年の夏休み、
「そうだ!
ボランティアというものを
体験してみよう」と思い立ち
農作業ボランティアに挑戦しました。
(お盆休みの3日間)
人生初めての
ボランティアの舞台は
東温市の美しい棚田。
日本一、美味しいコメに
2年連続で選ばれた
坂本憲俊さん(写真下)の田んぼです。
私、
「ボランティアというのは
実はタダ働きではないか?」という
せこくて
とても人にはいえない”疑問”を
ず~っと心に抱いていた、
報道人としてあるまじき人間です。
(↑これ、告白)
”疑問”の『解』を求めて
坂本さんの田んぼを訪れました。
◆初めて見た!雑草「ヒエ」
黄金色に実り始めたイネに交じって
かなりの数の異質な穂があるのが
分かります?
これ、ヒエなんだそうです。
(学校で習ったことあるが、
実物を見たのは初めて)
除草剤などを極力使わないと
こうした雑草に
稲の成長や収穫を邪魔されるんだそう。
結構、ビッシリ生えています。
※こういう状態になったのには
特別な事情があるが、理由は省略
このヒエを、カマを使って
手作業で刈り取るのが私の役目。
そもそもカマという道具を
使ったことない上に
8月の灼熱地獄が
エンマ大王のように私を苦しめます。
ということで
「午前中の半日×3日」という
自分勝手なスケジュールで
お願いしました。
イネを避けて
ヒエだけ刈り取るのが結構、難しい・・・。
ちなみに
私が”ねずみ男”のような
恰好をしているのには
ちゃんとした訳があります。
ケガや直射日光から身を守るため
長袖、長ズボンはマスト。
雑草から目を守るために
サングラスも必須。
本当は坂本さんのような
麦わら帽がいいのですが、
どこで売ってるのか分からないので
パーカーで
直射日光から首筋を
守ることにしました。
ざっく、ざっくと
刈り取ったヒエを束にして畦に仮置きし
まとめて処分します。
◆「はっ!」と気づいた労働と人間の関係
休憩で畦に腰を下ろすと、
真夏なのに赤トンボ。
「へ~、もうそんな時期なのか・・・」。
カエルがぴょこぴょこ跳ね、
イモ虫みたいなのが
凄い勢いで葉っぱを食べてます。
「こっちに来るなよ!」
稲に分け入ると
バッタが一斉に飛んで逃げます。
「う~む、虫たちも生きているんだな」
(当たり前!)。
「んっ?」。
◆「タダ働き」思考の前提は「商品」
「労働って、そもそも
生きるためにしてたのよね・・・???」
「生きるために労働して
お金もらうって
どういうこと・・・???」
「弥生時代の日本人は
みんなタダ働きだったわけ???」
そこから導き出された『解』は・・・。
「労働は
商品の原価を構成するだけのために
存在するのではない」
私の長年の”疑問”への
『解』がみえた気がしました。
坂本さんの田んぼで栽培され、販売する
日本一と認められたコメは
2キロ2,200円。
かなり高価ですが
それでも、もし、私のような労働に
(全くたいした労働ではないが)
お金を払っていたら
採算には合いません。
そもそも、
坂本さんがコメ作りを通して
取り組んでいる
・安全で安定した食料の供給
・里山の自然の保全
・限界集落を持続可能な集落にする
といった日々の労働そのものが
採算度外視のボランティアと
いえなくもありません。
*****
阪神・淡路や東日本大震災、
さらに愛媛でも西日本豪雨災害の際、
多くの善意が
ボランティアという
労働を産み出しましたが
それらは、「商品」を前提にした
つまり、原価としての労働では
ありませんでした。
人は、いつから
「労働=商品原価(コスト)」という思考に
囚われるようになったのでしょうか。
恐らく、それは
「商品」が大量に生産されるようになった
産業革命以降に広まった
わずか数百年の歴史しか持たない
思考の枠組みだと思います。
私は見事に
その思考の枠組みに
閉じ込められていたわけです。
◆「労働」こそ「成長」の原動力
日本経済の停滞感は
今、先進国で最悪ではないでしょうか。
そんななかで
若い世代のボランティアに代表される
「労働=お金」という
思考の枠組みに囚われない活動に
私は希望を感じます。
会社で大人たちが
「イノベーションを生み出そう!」と
いくら発破をかけても
そんなの生まれません。
誤解を恐れずにいえば
「タダでもやってみたい」という
若い世代の
清々しく、
エネルギッシュな労働の中から
革新は生まれるのではないでしょうか。
農作業のあと
お腹がすいて
とてもご飯が美味しかったのが
今年の夏の一番の思い出です。