このデッサン、
日本の植物分類学の基礎を築いた
ある人物の作品です。
独学で植物の描写、研究に励み
発見、命名した新品種は1,500以上。
植物図鑑は
まるで美術作品のようで
植物愛好家にとって
そして、教育界にとっても
なくてはならない書となりました。
作者は高知県出身、
牧野富太郎(1862~1957)。
江戸時代に生まれ
明治、大正、昭和と駆け抜けた
94年間の生涯は
日本の大転換期に
人それぞれの”坂の上の雲”が
存在したことを教えてくれます。
生誕160年を記念した特別展
◆『牧野富太郎展~博士の横顔』が
高知県立牧野植物園で開催されています。
みなさんは牧野植物園を
訪れたことがありますか?
私は高知県を何度も訪れましたが、
観光したのは全て
明治維新の偉人に関係する場所。
そうした偉人らと、ほぼ同じ時期を
「花と恋して」(富太郎の都都逸)生き
晩年、昭和天皇に
植物学のご進講をするにまで至った
土佐人がいた事実を知りました。
富太郎の人生は、私に
正岡子規や秋山兄弟とは
異なる「坂の上の雲」を目指した人物が
明治期には、たくさんいたことを
教えてくれます。
小さなころから
植物が好きだった富太郎は
「日本にはまだ植物誌というものが
無かったので、
一つこの植物誌というものを
作ってやろう」(牧野富太郎自叙伝)と
”坂の上の雲”を目指し、22歳で上京、
東京大学が所有する標本などを利用し
研究に励みます。
◆功績①植物の発見と名付け
富太郎の功績の一つは野外調査です。
全国を歩き、集めた標本は40万枚以上、
知られていない植物を発見し
名前を付けました。
富太郎が名付けた植物の一つが
ヤマトグサ(写真上・植物園内で撮影)。
日本で日本人が初めて
日本の植物の学名を発表した
記念すべき植物だそうです。
◆功績②描く能力が写真を超える
子どものころから
天性の描く力を発揮し、
写真では伝えられない
植物の種の典型(標準)を伝えました。
「人間を図鑑に載せるとしたら
写真だと個人の特徴が出てしまう。
富太郎はたくさんの個体を観察し
特殊を排し
種の典型を絵で伝えてくれた」
(牧野植物園の学芸員)。
◆”坂の上の雲”を目指すということ
富太郎の研究には
本の購入や調査旅行など
膨大な費用がかかりました。
園内で保管される富太郎の蔵書は
5万3,000点。(牧野家から寄贈
※一般立ち入りは出来ません)
妻・壽衛(スエ)の苦労は
並大抵ではありませんでした。
壽衛は1928(昭和3)年に
54歳でこの世を去り、
富太郎は感謝を込めて
新種のササを「スエコザサ」と
名付けました。
(園内にあるスエコザサ)
こうした生涯は
来春のNHKの連続テレビ小説の
モデルとなるそうです。
今、高知市を見下ろす園内を
初夏の植物が彩り
GWにお勧めのスポットです。
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今回の記事は
高知県立牧野植物園
広報課長
楠山壽香さんをはじめ
学芸員のみなさんからの説明。
そして、いただいた
『牧野富太郎の本』を参考に
書きました。